鉄道

2025年10月 8日 (水)

盛岡も銀河ドリームラインも遠野物語も

前の記事で、イーハトーブ船長らが蕎麦を打ってくれたことに からめて、銀河ドリームラインを話題にした。
ところで、ニューヨークタイムズの『52 Places to Go in 2023(2023年に行くべき52ヶ所)』の、
 1位はロンドン
 2位は盛岡
だった。(注1)

岩手といえば、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』と柳田國男の『遠野物語』。 
ってことで、盛岡も銀河ドリームラインも遠野物語も。

都府県で面積が最大なのは、岩手県。
最大と言っても、北海道の5分の1もない。
 東室蘭 ー 遠 野 の往復乗車券
 東室蘭 ー 新花巻 の往復の特急・新幹線
のきっぷを手配、あとは行き当たりばったり。

Rs
往路の は
やぶさ車内で『遠野物語』を読み始め。
二戸駅あたりで読了。

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花巻から銀河ドリームライン 釜石線。
単行のキハ100の最前には、起点から終点までカメラを構えた鉄子。(注2)

銀河ドリームラインの終点は釜石。
釜石から三陸鉄道リアス線に乗り継ぎ。

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岩泉小本(いわいずみおもと)でJRバスに乗り換え、岩泉町で下車。
岩泉町は、まつたけ祭りの初日。
ここで、マツタケ料理のフルコースを。

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マツタケと岩泉ヨーグルトを自宅に発送後、JRバスで盛岡へ。

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盛岡市内で、コーヒーブレイク。

1953
開運橋。
橋下を流れるのは北上川。
この橋を詠んだ宮澤賢治の歌がある。(注3)
リベット接合

勤め先が岩手県内にも事業所を持っていたので、この地を踏むのは初めてではないが、仕事は仕事。
今回は、拘束なし。
で、秘境線の山田線(盛岡駅ー宮古駅)も往復。

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赤線が、今回の旅程。
宿泊は、
 花巻
 遠野
 岩泉
 盛岡
で。

(注1)

ちなみに、
 '23年は 19位に福岡
 '24年は  3位に山口
 '25年は 30位に富山
       38位に大阪
が、記事にされている。

(注2)

鉄道好きの男性をテツ・鉄 と称し、
鉄道好きの女性をテツ子・鉄子 と称す。

(注3)
賢治が詠んだのは二代目の開運橋。
 そら青く
 開うんばしの
 せとものの
 らむぷゆかしき
 冬をもたらす
陶器製のランプが灯されていたようだ。

初代 1890(明治23)年
二代 1917(大正6)年
今の橋は三代目で1953(昭和28)年の竣工。

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2025年10月 2日 (木)

『JTB鉄道地図』を読む

先日の絵鞆マリン倶楽部の秋の釣り大会では、イーハトーブ船長らが蕎麦を打ってくれた。
イーハトーブとは、宮沢賢治(1896年ー1933年)の造語。
彼の故郷の岩手を理想郷に見立てた語。

てなこととは関係なく、『JTB鉄道地図』を購入。

Jtb
こんな喫茶店で、読み始め。

ずっと使ってきたのは、徳間書店の『日本鉄道の旅3D地図帳』。
が、旅程部分のページを破ってポケットに入れて出かける、という使い方をしてきたためすっかり本が痛んだ。
また、東日本編・西日本編と分冊になっていて俯瞰性に欠けていたため、代替としてJTB版を。
地図はデフォルメがよく練られていて、製本は蛇腹式。
海航路・都市間バス路線・ロープウェイ、なんと この地図、湖の遊覧航路まで書き込まれていて旅欲を誘うこと、誘うこと。

本夕、読了。

話を冒頭に戻す。
宮沢賢治といえば『銀河鉄道の夜』。
だから、宮沢賢治が生きて死んだ岩手には、銀河ドリームライン(釜石線:花巻ー釜石)がある。
この路線は北上川に沿う。

以前、仕事で、花巻空港ー釜石を2往復している。
2往復とも、並走する国道283号を使って。

イーハトーブ船長の蕎麦から連想が進んだ。
銀河ドリームラインに乗ろうか、と・・・

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2025年5月31日 (土)

黒部峡谷鉄道に乗る

日本の鉄道は、英国から技術を導入・指導を受けることによってスタートした。
なので、軌間幅(レール間隔)の単位はインチ・フィート。
 新幹線(標準軌) は、4フィート8と1/2インチ :
1435ミリ
 在来線(狭軌)は、  3フィート6インチ     :1067ミリ
 黒部峡谷鉄道は、   2フィート6インチ     : 762ミリ

黒部峡谷鉄道は、宇奈月駅 から欅平(けやきだいら)駅まで10駅 20キロ。(注)
その、黒部峡谷鉄道に乗った。

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黒部峡谷鉄道はトロッコ列車。
牽引するのは、二重連電車。

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鉄道だから、〝上り〟・〝下り〟がある。
黒部峡谷鉄道は、上のログの
 上から下が〝下り〟
 下から上が〝上り〟
すなわち、
 黒部川の上流に向かうのが〝下り〟
 黒部川の下流に向かうのが〝上り〟

(注)
能登半島地震は黒部峡谷鉄道にも影響。
土砂崩れからの復旧工事が続いている。
よって、今のところ、終着は猫又駅。

欅平駅からは、同規格軌条が黒部第四発電所まで敷かれている。
関西電力専用線で全てトンネル内。
吉村昭の『高熱隧道』で描かれた隧道である。
関電で乗車希望者を募集、抽選されれば黒四まで乗せてくれたのだが、今々現在は、上記事情もあって一般人は乗れない。

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2025年5月30日 (金)

立山黒部アルペンルートを歩く

立山黒部アルペンルートは、
 長野県大町市の扇沢(おうぎざわ)駅
から、
 富山県立山町(たてやままち)の立山駅
までの37キロ。

その37キロの行程中の最高点は、室堂(むろどう)の2450メートル
『立山黒部アルペンルートを歩く』  と題したが、 行程のほとんどは、電気バス・ケーブルカー・ロープウェイ。 

 扇沢   1433メートル
       関電トンネル電気バス
 黒部ダム 1470メートル
  ↓     黒部ケーブルカー
 黒部平  1828メートル
  ↓     立山ロープウェイ
 大観峰  2316メートル
  ↓     立山トンネル電気バス
 室堂   2450メートル
  ↓     立山高原バス
 美女平   977メートル
  ↓     立山ケーブルカー
 立山    475メートル
       (数値は標高)

扇沢駅から黒部ダム駅間は、6.1キロ。
内、5.4キロが関電トンネル。
この関電トンネル掘削工事の難所の破砕帯の長さは83メートル。
その83メートルの突破に7ヶ月かかっている。
それの映画化が、『黒部の太陽』。 

黒部ダムの堤体(本体)は、
 堤 高:186メートル
 堤頂長:492メートル

このダムによって発電するのは33.5キロワット。
現在の関西電力の総発電能力の1パーセントにも満たない。

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その堤体上を歩く。 
ダム湖に映る渓谷の緑は、まだ浅い。

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室堂にて。
直径200メートルの火口湖は雪の下。
岸ぎわが わずかに開いて水色。

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2025年4月20日 (日)

『山と渓谷 5月号』を読む

『山と渓谷』と『岳人』は、伝統ある登山専門月刊誌。
『山と渓谷』には、
 冬には冬の
 春には春の
 夏には夏の
 秋には秋の
高山・低山問わず、質の高い山岳写真が掲載されていて、山に登らずして、山腹に立っている気分にさせてくれる。
そういった写真を印刷するのに耐える紙を使って『山と渓谷』は製本されている。
従って頒価は『岳人』の倍。

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こんな飯屋で、読み始め。

本書には、〝◯月の山〟と題して、毎号 5つの山が紹介される。
本号 〝5月の山〟のひとつは伊達紋別岳。

私は以前、5月の初めに、伊達紋別岳稀府岳の2座を同じ日に歩いて拙ブログの記事にしている。
伊達紋別岳は群落のシラネアオイで有名。
『山と渓谷 5月号』にも それが写真付きで紹介されている。
が、シラネアオイは大花(おおばな)過ぎて、5月の山に咲く花にはふさわしくない。 
というのが私の気分。
私のPCに残っている画像は、エゾアオイスミレ。
 
本夕、読了。

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昨日の北舟岡駅。
室蘭本線は北海道の主要幹線だが、単線区もある。
ここ北舟岡駅構内は複線、交換(すれ違い)駅。
特急を通すため、貨物列車はここで停車する。

右上、画像の外にハロ(halo:カサ 太陽の周りの円形の虹)。

ハロは天気が崩れる前兆。
今日の当地、雨。

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2025年3月31日 (月)

岩内にて

以前、拙ブログに 『なぜかいい町 一泊旅行』を読む を掲載、 岩内 を話題にした。
その なぜかいい町の 岩内 に一泊。
岩内へは岩内線廃線跡をたどって。
岩内線については、拙ブログに 小沢駅にて で記事にしたことがある。

ところで・・・
戸籍に関する事務は市町村の仕事。
 戸籍を作る事務を〝編製 〟
 籍をアッチからコッチに移すことを〝移籍〟
 戸籍筆頭者(戸主)として新しい戸籍を作ることを〝立籍(りっせき)〟
という。

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岩内町内の私有地にある碑(注1)
碑銘は、
 『文豪夏目漱石立籍地』
左手遠景は岩内岳(1086メートル)

夏目漱石は江戸城下、徳川幕政最後の年に現在の新宿区に生まれている。
亡くなったのも新宿区内。
その漱石が、25歳のときに 岩内 に戸籍を移し立籍している。
東京に籍を戻したのは、22年後。
確実な証拠はないが、徴兵を逃れるためだったという説が有力。
その経緯を年表風に並べると、
 1867(慶応 3)年 生誕
 1892(明治25)年 岩内に立籍
 1914(大正 3)年 東京に移籍
 1916(大正 5)年 死没

漱石が、自身の本籍について書いたのは一度。
1912(大正元)年発行の『極北日本(高原操著)』(注2)に寄せた序文の冒頭に、 
 余は東京の場末に生れたものであるが、妙な関係
 から久しい以前に籍を北海道に移したぎり、今に
 至つて依然として後志國の平民になつてゐる。
と、籍を移した理由を〝妙な関係から〟とだけ。

『極北日本』を読んだ流れで、1966(昭和41)年に刊行された『岩内町史』も読んだ。(注3)
漱石が岩内に立籍した地番の まさに ここに居を構えていた家主の弟が町史編纂者に語った言葉が採録されていて、その言の最後は、
 当時北海道は戸主徴兵免除の時代であった

(注1)
この碑の正面画像は、ネットでいくつも拾える。
裏面画像は拾えない思うので、ここに。
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碑文は、 
 明治二十五年四月五日。文豪夏目漱石本籍を東京
 牛込より此處吹上町淺岡仁三郎方に移す。二十五
 才から四十七才まで二十二年間、その半生をここ
 に本籍を置いたゆかりの地である。
   昭和四十四年三月建之
                   岩内町

(注2)
『極北日本』の副題は『樺太踏査日録』。
著者の高原操(たかはら みさお )は朝日新聞社の取締役だった人。
漱石と高原は師弟関係。 
高原の旧制高校在校時の英語の教授が夏目漱石。
なお、今現在、『極北日本』を書籍の形で手にすることは かなり難しい。
が、所蔵書籍のデジタルデータ化を進めている国立国会図書館にアクセスすると、本書の全ページをデジタル画像で読むことができる
本記事末に、備忘ため もう少し書き写しておく。

(注3)
今や、市町村史の執筆を書籍編纂業者に外注する自治体もあるようだ。
が、『岩内町史』は岩内町役場職員だった人が ほぼ一人で編纂している。
力作。
かつ、町史・資料集の域を超えた読本となっている。

〈備忘録〉
 余は東京の場末に生れたものであるが、妙な関係
 から久しい以前に籍を北海道に移したぎり、今に
 至つて依然として後志國の平民になつてゐる。
 原籍のある所を知らないのも變だと思つて機會が
 あつたら一度海を越えて北の方へ渡つて見たい積
 りでゐたが、つい積計で實行の決心は容易に出來
 ず、來る年來る年を荏苒と暮して仕舞つた。
 二三年前ある知人が、あちらへ行くから一所に行
 かぬかとわざわざ勧めて呉れたが、其の時も都合
 が悪くて矢張愚図々々東京に殘つてゐた。
 戸籍面からいふと故郷ともいふべき北海道ですら
 斯の通りだから、其先の樺太へ旅行などは固より
 思ひも寄らぬ事で、樺太と云へば嘸寒いだらうと
 想像する位がせきの山であつた。

漱石は、その生涯中、一度も来道していない。

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2025年3月30日 (日)

『大人の休日倶楽部 4月号』を読む

〝大人の休日倶楽部〟 とは、JR東日本運営の有料会員組織。
私は そこの会員なので、倶楽部誌の『大人の休日倶楽部』 が毎月 送られてくる。

今月15日はJR各社のダイヤ改正日だった。
てなこととは関係なく、本誌内容はいつも通り。

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こんな喫茶店で読み始め。

会員には、JR東日本の営業路線を利用する際に いくつかの恩恵がある。
また、JR東日本が企画する観劇や食事への特典も。
その恩恵はJR北海道の営業路線を利用する際にも及ぶ。 
が、 運営しているのがJR東日本だから、本誌の内容は、首都圏居住者を対象としているものがほとんど。
いくつも魅力的な鉄路旅が紹介されているのだが、発着は全て東京駅。

本夕、読了。

大人の休日倶楽部会員への恩恵は、JR北海道の営業路線を利用する際にも及ぶと書いた。
ンで、今日、その恩恵を享受しに(^^)

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2024年3月24日 (日)

『鉄道ひとつばなし』を読む

著者は政治学者。

初めに、
 学者が本業を放り出して、「趣味」の本を出すとは何事
 かという批判は覚悟している。
と書き、続けて、
 私にとって、鉄道は単なる趣味ではない。 それは経済
 史や経営史の研究対象となるばかりでなく、私の専門で
 ある政治思想史にとっても、テキストを読むだけでは見
 えない重要な手掛かりを与えてくれる。
と書く。

そして序章が、
 思索の源泉としての鉄道

鉄チャン・鉄子の好むトリビアが並べられているのではなく、広く深い知識と、整然とした頭の使い方で本書は書かれている。

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こんな喫茶店で読み始め。

大正天皇は その皇太子時代(1900(明治33)年~1912(大正元)年)に、沖縄を除く全ての道府県庁所在地を回っている。
1907(明治40)年、皇太子は 開通20日後の山陰本線に乗っている。
その時の、鳥取県の倉吉駅のある自治協会に残る記録が以下。

 奉迎人 倉吉駅到着は遅くも御着車時刻一時間前
 (九時五十分)とす もし同時刻を後れば構内
 に入ることを得ず

つまり、
 皇太子を乗せた列車は十時五十分に倉吉駅に着くから、
 歓迎に選ばれたものは、その一時間前の九時五十分まで
 に駅構内の指定場所に整列せよ。
 それに遅れた者は駅構内に立ち入ることを禁ずる。

数字をきれいに、九時五十分としても良さそうなものだが、一時間前は、あくまでもキッカリ一時間前。
時刻の五十分は、あくまでも五十分。

鉄道と皇族の硬い関係が見える。

本夕、読了。

ところで、本書初版は2003年9月だが、今も版を重ねている。
なお、執筆時、某大学助教授だった著者は、すでに名誉教授。

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2022年10月29日 (土)

『日本の名列車』を読む

日本の新幹線網の総延長距離は、3千キロ。
中国の高速鉄道網(日本の新幹線に相当)の総延長距離は、3万キロ。
中国の人口は日本の10倍。
だから、日本の10倍の距離は、人口比に見合っているが、さらに万の単位で延線される計画。
日本の25倍ある中国の国土面積の大きさゆえ。

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こんな飯屋で読み始め。

ところで、日本の新幹線になくて、中国のそれにあるのは寝台車。

今、国内で定期運航する寝台列車は、
 サンライズ出雲
 サンライズ瀬戸
のみ。
本書では、今はなき、あるいは今も走る特急・急行、寝台列車が語られる。

著者は、鉄道ジャーナル社を創業、そこを経営しつつ、月刊『鉄道ジャーナル』・『旅と鉄道』の編集長を務め、2015年に死去した竹島紀元。
彼の文章を背中や脇腹にこそばゆさを感じずに読み通せるヒトは、その列車に乗った経験のあるヒトだろう。
例えば、こんな文章・・・
 旅人たちは 軽い鉄輪(わだち)の響きに身を任せて思い思いに
 かりそめの夢路を辿る。
 鉄路に星影が散る夜半(よわ)・・・、ブルートレイン<日本海>
 は暗い山河に一筋の光芒を淡く放って遥かなる北への旅路を駆け
   続ける。

本夕、読了。

国縫から瀬棚までの50キロを結んでいた瀬棚線の廃線は、1987年、国鉄がJRに移行する2週間前。
その代替として、函館バスが長万部・瀬棚間を運行している。
定期営業バスは、運輸局が許可した停留所以外では乗降できないのが決まり。
が、長万部・瀬棚間の途中の閑散部ではフリー乗降制が承認されている。
停留所以外でも、手を上げればバスは止まってくれる。

その鉄道版が、米国アラスカ鉄道。
線路脇で白い旗を振れば、列車が止まってくれる。
サントリーオールドの古いTV-CMで、その様子を見ることができる。
このCMでは、開高健が白い旗ではなく星条旗と日章旗を振って列車を止めている

私は、乗車時にどうしたことか左足の靴を車両とホームの隙間に落とし、列車の出発を止めたことがある(^^;

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2019年6月 1日 (土)

本日、外飯日和

北海道には屋外で飯を食うことを目玉とする大きなイベントがいくつもあって、回を重ねている順から、
  豊浦いちご豚肉まつり
  池田町ワインまつり
  美幌観光和牛まつり
  白老牛肉まつり
  三石蓬莱山まつり
   ・・・
   ・・・
 絵鞆マリン倶楽部 安全祈願祭・釣り大会のパワーランチ

規模だと、『白老牛肉まつり』が一番だと思う。
ここで昼飯を食べるのが、我が家の年中行事のひとつ。
ということで、今日の昼飯は『白老牛肉まつり』会場で。

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すでに限界点を越えた過飽和状態のイベントになり、よそ者ながら、運営を考えないと、と感じていた『白老牛肉まつり』。
それが、いい感じに収束、落ち着いた。

本日、外飯日和(そとめしびより)。
満腹(^o^)

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行きは特急すずらん5号。
789系電車に鷲別駅から乗車。
乗車時間23分間で白老駅着。

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帰りは、普通列車。
キハ40気動車の単行列車。
優駿浪漫(日高)塗装車。
乗車時間は51分。

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