『41人の嵐』を読む
1982(昭和57)年は、8月になっても梅雨の明けない年だった。
その年。
台風10号は、梅雨前線を刺激しながら、8月2日0時頃に渥美半島に上陸、南アルプス・中央アルプス・北アルプスとなめ、同日午前中に能登半島沖に抜けた。
【気象庁:過去の台風資料 より】
刺激された梅雨前線は、台風通過後も大雨をもたらした。
台風による死者95名。
台風前後の大雨による被害も加えると、死者数は400超。
こんな喫茶店で読み始め。
富士川に注ぐ支流のひとつの野呂川。
その水源は、北岳(3193メートル)、間ノ岳(3190メートル)。
野呂川の最上流部近く標高2000メートルに建つのが二階建ての両俣(りょうまた)小屋で、30人ほどが寝られる。
また、小屋の下流側500メートル離れたところに、テント場(テン場)がある。
'82年の台風10号は、テン場を土砂が埋めた。
が、テン場の2大学2パーティ 16人は小屋番との連絡が取れないままではあったが、脱出に成功。
川幅 ほんの数メートル。
それが、100メートルに広がり、小屋も1階部分が土砂で埋まった。
2階に集まったのは3大学の3パーティと社会人1パーティ。
それと小屋番の25名。
内女子11名。
靴を流された者1名。
本夕、読了。
濡れて脈をとれないほど弱った者を背負い、靴のない者を背負い、倒木をくぐり、コースタイム9時間のルートを歩く。
途中、視程10メートルの猛烈な雨。
脱出ルートは、
下図の南の🔴の
両俣小屋 2000メートル から、
以降 尾根伝いに、
横川岳 2478メートル
大仙丈ケ岳 2975メートル
仙丈ケ岳 3033メートル
小仙丈ケ岳 2864メートル
長衛荘 2036メートル 下図の北の🔴まで
図中の ━ は参考に入れた線で、長さ300メートル。
著者は'80年から現在に至るまで両俣小屋番を務める女性。
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