『戦前日本の「戦争論」』を読む
1940(昭和15)年に組閣された第2次近衛内閣の閣僚は、
総理大臣 近衛文麿
外務大臣 松岡洋右
内務大臣 平沼騏一郎
陸軍大臣 東條英機
海軍大臣 及川古志郎
ら。
この内閣が設けたのが、総理大臣直轄の総力戦研究所。
その研究所において、帝国が米国に戦いを挑んだ場合のシミュレーションを行っている。
米国が原爆を完成させることまでは予測できなかったが、
緒戦は勝利する
長期戦になる
ソ連が参戦する
こと、そして敗戦するのは帝国であることを史実通りに予測している。
その研究結果は、首相をはじめとする閣僚・上級官僚・陸海軍上層幹部を前にして発表されている。
帝国が英米に戦端を開く16ヶ月前のこと、すなわち、帝国敗北の60ヶ月前のことである。
こんな飯屋で読み始め。
本書の副題は、
「来るべき戦争」はどう論じられていたか
〝どう論じられていたか〟を、本著者は下記の出版物から拾っている。
本書の目次にある表記通りに並べると、
われ等若し戦はば 昭和八年八月発行/講談社
米國海軍の眞相 昭和七年十一月発行/創造社
日米果して戦ふか 昭和六年八月発行/春秋社
昭和十年頃に起る日本對世界戦争 昭和七年五月発行/日月社
日本は勝つ 昭和十八年五月発行/高山書院
(上記本の著者は、今の我々には、とうに忘れられたヒトたちで、退役軍人や軍事を専門とする評論家ら)
本夕、読了。
どの本も、米国の経済力・科学力・工業力が帝国を大きく上回ることを認めていて、開戦を避けるべきという論調なのは同じ。
また、どの本も、米国が帝国を空襲することについて、史実に近い予測をしている。
よって、フィリピン・南洋諸島・小笠原が戦略上の重要地となることも同じように論じている。
実際に、米軍が帝国へ初空襲したのは、'42(昭和17)年4月。
その翌年発行の 『日本は勝つ』 に書かれているのは、
なあに、東京が焼けても、日本にはまだ
大阪もあれば、名古屋もあるではないか。
といったぐらいな、太い神経の持ち主に
ならなければ、米英相手の大戦争は勝ち
ぬけるものではない。
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