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2024年6月

2024年6月30日 (日)

『国マニア』を読む

著者は日本の大学で国際関係学を学び、香港(ホンコン)の大学へ。
卒業後は、香港で邦人向けの日刊紙・週刊誌・月刊誌の記者・編集者を勤めたヒト。

映画『人間の條件』では、工藤大尉が砲声の中、 
「国家とは何か」と叫ぶ。

かわぐちかいじのマンガ『沈黙の艦隊』では、原子力潜水艦の海江田艦長が、乗艦を「やまと」と命名する。
そして、「やまと」が国家として独立したことを宣言し、国連総会への出席を果たす。

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こんな飯屋で読み始め。

パナマ運河とその沿岸は、パナマ運河地帯と呼ばれていた時期がある。
1903年から1979年にわたってのことで、その間、米国が行政と司法の権限を持ち、必要とあらば治安出動できる権限まで有していた。
パナマは独立国だったが、パナマの憲法には、
 公安が乱れた場合には、米国が干渉できる権利
が明記されていた。

パナマ運河地帯は米国の海外領土だった。
その返還を承認したのは、カーター大統領(’77年)で、’99年末に返還を終えている。

本夕、読了。

香港・台湾とも国連加盟国ではない。
が、

 香港は、ホンコン チャイナの名で
 台湾は、チャイニーズ タイペイの名で
オリンピックに参加している。

本書に書かれていることを、そのまま引用すれば、
 国家が成立するための三要素とは、「領土・国民・主権」
 だと定義されている
とあるが・・・

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2024年6月26日 (水)

旅装を解いたのは

NHKのTV番組『ドキュメント72時間』。
毎年末、その年の放送を振り返る特番がナマで組まれる。
昨年末の特番で、視聴者に最も強い印象を与えた放送として選ばれたのは、
 『冬の北海道 村のコンビニで』
真冬の初山別のセイコーマートの72時間だった。
また、
 『礼文島 最果てのユースホステルで』
と題された回の放送も、昨年末の特番で取り上げられた。

ここで、
 〝最果てのユースホステル〟
と表現されているのが、〝桃岩荘(ももいわそう)〟。
私の礼文島での旅装は、ここ 桃岩荘で解いた。

夏。
といえば、学生を中心とした若い人たちがリュックを背負い、日本中を歩いた。
移動は、周遊券・青春18・スカイメイト・長距離フェリー・バイク・自転車・徒歩。
睡眠は、夜行列車内・駅舎のベンチ・ライダーハウス・ユースホステル。

ヒトは変わる。
社会も変わる。
今や、夜行列車は激減、周遊券の販売もない。
駅舎のベンチは個席化され、横になれない。
ライダーハウスもユースホステルも減った。

変わらないのは、桃岩荘だけ。
 アアだ・コウだ言うヒト
 高い・安いを言うヒト
 コスパ・タイパを言うヒト
 人生を語るヒト
 過去を語るヒト
そして、
 未来を語るヒトさえも、
この宿では過ごせない。

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この宿で過ごす者が考えるのは、今。
今、だけ・・・

私が、
 礼文島に到着したのは、 6月23日 16時45分
 礼文島を離れたのは、  6月26日  8時55分
ここ桃岩荘には3泊。
我が礼文島滞在は72時間に及ばず。
私の
 『礼文島 最果てのユースホステルで』
は、
 『ドキュメント64時間10分』

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礼文島を歩く

稚内の西の沖に浮かぶのは利尻島。
そのさらに西に浮かぶのが、最北の有人島の礼文島。

その礼文島に立つ頃から雨。
夜になると風も付いてきて、翌日は一日中、屋内に停滞。

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さらに翌日の25日、やっと島内を歩ける空模様に。

田中澄江著『花の百名山』で礼文島の路傍で見たと記されている18の花は、
 シシウド
 チシマフウロ
 マイズルソウ
 ガンコウラン
 コケモモ
 ツタウルシ
 レブンソウ
 エゾタカネナデシコ
 イブキトラノオ
 イワオウギ
 ミヤマキンポウゲ
 エゾスカシユリ
 ミヤマハタザオ
 エゾオトギリ
 ウメバチソウ
 ミヤマオダマキ
 エゾヨツバシオガマ
 ウルップソウ

私が見たのは、17。
 シシウド
 チシマフウロ
 リシリソウ
 エゾカンゾウ
 オオハナウド
 オオカサモチ
 ヤマブキショウマ
 ハマナス
 バイケイソウ
 ノハナショウブ
 ムスカリ
 ルピナス
 バイケイソウ
 ハクサンチドリ
 チシマアザミ
 エゾニュウ
 レブンウスユキソウ
シシウドチシマフウロが共通する。

田中澄江が見ることがなかった花、レブンアツモリソウには私も出会えず。

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島内歩きのGPSログ。
🔴ー🔴間は宗谷バスを利用した。

島内歩き時間、7時間20分。
41866歩。

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2024年6月22日 (土)

『花の百名山』を読む

北海道の山は低い。
最高峰の旭岳(大雪山)でも、2291メートル。
なので、その最高峰でも花を見る。

著者は、脚本家の田中澄江(1908年 ー 00年)。

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こんな喫茶店で読み始め。

著者は素晴らしい脚を持っている。
本書の『あとがき』は、著者 75歳の時に書かれている。
その時点での著者の山行数は、年に50座。

若い頃は、牧野 富太郎 (1862-1957)と共にした野歩きも多い。
したがって、本書で披露される植物の知識は正統で豊富。
本書内に書かれている植物名は900ほど。

本夕、読了。

著者は、3泊4日の行程で、夕張岳(1668メートル)・礼文岳(490メートル)・利尻山(1721メートル)と歩いている。
礼文岳の章に書かれている花の名は18。(注)
そして、礼文岳の章は、
 入り組む海岸線の美しさと、路傍の花々に圧倒された
と終わる。

私は思った。
 礼文島へ行こう。
 そして、路傍の花々に圧倒されよう。
と、・・・

(注)
礼文島にはアタマにレブンの付いた固有種が幾つかある。
その代表格が〝レブンアツモリソウ(ラン科)〟。

が、本著者は、この花については ひとことも触れていない。
山行とレブンアツモリソウの花期が合わなかったのだろう。
それを、
 山に来るのが早過ぎた
 山に来るのが遅すぎた
 残念だ
などと書いたりしないのが著者らしい。

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2024年6月 9日 (日)

『商人』を読む

著者は’16年逝去の永 六輔。

帯に、
 六輔ワールド、
 いよいよフィナーレ!
とあるように、本書は、『職人』・『芸人』と続く三部作の最後。

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こんな飯屋で読み始め。

著者の信条は、
 曲がったことのない街角を曲がったら
 旅が始まる
国内外アチラコチラを、ショルダーバッグひとつで歩いている。

本書には、散歩先・旅先で聞いた商人らの語録が並べられている。
そのひとつが、
 商店街だけじゃありません。
 楽な仕事なら後継者はいまっせェ、
 ・・・たとえば政治家とか、タレントとか

本夕、読了。

タモリが、笑いを取っていた さだ まさしネタは、
 ・しみったれた暗さ
 ・オチの見える歌詞展開

タモリが、笑いを取っていた 永 六輔ネタは、 
 ・しみったれた文化論
 ・オチの見える文化論展開

タモリのような回転の速い頭を持っていない私にでも、永 六輔の文化論の展開は見通せる。
例えば、本書名は〝商人〟だが、それに〝あきんど〟と ふりがはを付けたりとか。

本書内で、永 六輔は自身を〝売文商人〟と称している。
〝売文商人〟に ふりがな は付いていない。

〝ばいぶんしょうにん〟と読ませるのだろうか、〝だぶんあきんど〟と読ませるのだろうか。

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2024年6月 8日 (土)

『山嶽地帯行動ノ参考 秘』を読む

〝山嶽〟とは〝山岳〟のこと。

本書は、帝国陸軍教育総監部本部長名で各部隊に配布された原本をスキャンして復刻したもの。
原本配布は、帝国敗戦の20ヶ月前の1944(昭和19)年1月。
信州の松代町(現:長野市の一部)へ大本営及び政府機能を移す計画が持ち上がる頃。

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こんな喫茶店で読み始め。

実際に山岳地帯に部隊を展開してデータを採取、それをもとに本書がまとめ上げられている。
データ採取は、中央アルプス最高峰の木曽駒ケ岳(2956メートル)山域や富士山において。

現在の日本人男性の体重はもう少しあると思うが、本書では兵士の平均体重を60キロとしている。
で、かつぐ重量が43から49キロ。

本書に掲載のデータから、
 水平に1000メートル進んで、上がる高度が100メートル
 傾斜6°弱の時、
 行軍速度は時速2.7キロ
 なお、30分ごとに5分間の休憩

 水平に1000メートル進んで、上がる高度が500メートル
 傾斜27°弱の時、
 行軍速度は時速0.37キロ
 なお、15分ごとに5分間の休憩

本夕、読了。

上記は、体力・気力ともに優秀な者の数字と本書の記載。
また、山地では地図に記せない道の屈曲が多く、図上距離の倍になることを考慮しなければならないことが書かれている。

11時間歩いた後の備考に、
 部隊ハ 体力的二 戦闘ノ 余力ヲ 十分保持シアリ
とある。

私のテントを担いでの、1泊2日の縦走時で、背中のザック重量は16キロから18キロ。
11時間なんて歩かないが、全力を使い切る。
テント設営後は余力なし。

私は兵士になれない(^^;

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2024年6月 2日 (日)

白老牛肉まつり

オリンピックは、ごと
ごとは、おきと言い換えできる。

〝白老牛肉まつり〟で昼食をとるのが我が家の毎年の行事だった。
しかし、〝白老牛肉まつり〟の直近最後の開催は’19年。
以降 コロナ禍で休催が続き、今年再開。
ってことで、ごとでもおきでもなく、ぶりに、昼食のために〝白老牛肉まつり〟へ。
〝まつり〟と銘打っているが、要するに規模の大きな屋外食事会。

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5年前は、土日2日間のまつりでメシを食うために集まったのは万人。
そして、私が感じたのは、じき、この増加一方の人の集団をさばき切れなくなるだろう ということ。

段取り八分に作業二分。
段取りとは企画のこと。

ぶりの今回の まつりを、関係者は練りに練って企画したものと思われる。
 ・白老駅⇔会場 の大型バスによるシャトル輸送の取り止め
 ・地元ベンチャーズの演奏や地元アイドルの歌謡ショーなどの取り止め
 ・そもそも演舞台を設置しない
 ・会場面積も縮小
 ・前売り券の販売数を大きく減らした(はず)
で、集めるのは万人。

さて、関係者が企画した通りに まつりは進行したか。
私ごときが それを評価するのは生意気・身の程知らずだが・・・
企画も その遂行の作業もウマくいったものと私は思う(^^) 

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2024年6月 1日 (土)

『くすりの発明・発見史』を読む

ツムラの漢方内服薬は、
 1番の葛根湯(かっこんとう)
から、欠番なしで、
 138番の桔梗湯(ききょうとう)
まで。
このうち、
 68番の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
は、足がツった時に効く。
漢方薬は、その薬効がジワジワ・ユックリのイメージがあるが、68番の芍薬甘草湯は即効薬。
ツったフクラハギが元に戻るまでの時間は、服用してから30秒(実体験)。

さすがは、中国四千年。

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こんな喫茶店で読み始め。

熱帯病のひとつのマラリア。
その病原体は、マラリア原虫(ヒトの赤血球中に寄生 アンパン形状 直径5ミクロンメートル)で、蚊が媒介する。
マラリアに感染する者は、年に2.5億人。
死亡する者は、年に60万人。

マラリアの特効薬に、キニーネがあるのだが・・・

本夕、読了。

映画『インディ・ジョーンズ』は、考古学者のインディが古文書を読み解くことから物語が始まる。

文化大革命中の1967年、毛沢東が立ち上げたのは、マラリア薬の開発プロジェクト。

中国全土から集められた科学者が まず やったのは、インディと同じ。
古文書の調査から。
で、紀元前2世紀に、マラリア患者に青蒿(せいこう:ヨモギ属の植物 和名はクソニンジン)が使われていたことを知る。
さすがは、中国四千年。

2015年のノーベル生理学・医学賞受賞者は、
 William C. Campbell
 大村 智
 屠 呦呦(Tu Youyou)
の3人。

屠 呦呦(1930年- )こそが、文化大革命の さなか、中国全土から集められた科学者のひとり。
そして、屠 呦呦へのノーベル賞授賞理由が、

〝マラリアに対する新たな治療法に関する発見〟

彼女の業績は、青蒿から2種の薬効成分の分離・精製に成功したこと。
 ひとつは、マラリア原虫の殺虫薬剤(注)
 もうひとつは、薬剤耐性マラリアや重症マラリアの基盤薬剤

(注)
本書での説明は ほんの数行なのだが、マラリア原虫が分離させたヘモグロビン中の鉄原子に作用する成分を発見している。
この殺虫原理はたいへんに興味深い。

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