『海を渡った「ナパーム弾の少女」』を読む
1973年の「ニュース速報部門」のピューリッツァー賞は、〝The Terror of War(戦争の恐怖)〟。
ここでいう〝War〟とは、ベトナム戦争。
写されたのは、’72年6月。
―― The Terror of War ――
〝The Terror of War〟 に写る裸の少女が〝Napalm Girl〟、すなわち「ナパーム弾の少女」。
’75年4月に、この写真が撮られた場所から北東へ40キロにある南ベトナム首都のサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終わる 。
後遺症をともなう重度のヤケドを背中と左腕に負って火煙から逃れる この時の少女は、9歳。
南ベトナム軍による南ベトナム集落への、ナパーム弾(焼夷弾)の誤爆によって起きた事件だった。
こんな喫茶店で読み始め。
資本主義(南) 対 社会主義(北)の 米ソ代理戦争。
北が南を押し切り、南・北ベトナムはベトナム社会主義共和国として統一され現在に至る。
のち、優秀だった少女は医学生となるが、その優秀さゆえ、社会主義政府によって反米・反帝の広告塔とされることになる。
・社会主義国のキューバへの留学
・同じくキューバに留学していたベトナム人と結婚
・夫婦してのモスクワ旅行からキューバへの帰途、
乗り継ぎ地のカナダ最東部のガンダー国際空港で
難民申請
本夕、読了。
このヒト、よくよく考えている。
〝亡命〟ではなく、〝難民〟としての立場で行動したのも考えた末。
カナダの市民権を得、キリスト教に改宗。
ベトナムの両親をカナダに呼び寄せることもでき、自身、ベトナムを訪問できる自由も得た。
火傷痕の治療は長いこと続き、昨年完治。
治療にあたったのは米国人皮膚科医で、治療期間5年。
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