『誤報』を読む
予定稿とは、新聞社が事項の発生前に作っておく原稿。
著名人の逝去記事
ノーベル賞受賞記事
文化勲章叙勲記事
など色々考えられる。
経歴や業績、結果の影響などを、ことが起きてから調べたり考えたりしているようではマヌケ。
前もって、調べ考えて記事の原稿を作って、いざという時に備える。
放送局でも同様だろう。
ロシアがウクライナに砲口を開いたのは、今年の2月24日。
その翌々日の2月26日、東京にも支局を持つロシアのノーボスチ通信社が、
「ウクライナがロシアに戻った」
と告げる記事を、ネット上にアップ。
しかし、それは予定稿。
ただちに削除したが、時すでに遅く、それが世界中に拡散した。
まァ、しかし、誤報が誤報だと認識できる記事なのだから、大恥をかいたが通信社としての罪は軽い。
著者は、新聞社々員を務め上げたのち、マスコミ論を講じる大学教員。
こんな飯屋で読み始め。
副題が、『新聞報道の死角』。
〝死角〟とは、
思い込み
取材源からの情報・リークのいいとこ取り、つなぎ合わせ、憶測
特オチへの不安からの勇み足(本書内では見切り発車と表現している)
新聞(に限らないが)は、何度も何度も誤報を出している。
そのたびに、謝罪・経緯・反省・対策は出すが、〝ンなことはタナに上げて〟書く(書かねばならない)のが新聞人。
朝刊・夕刊に間に合わせるための締め切りがある。
ウラ取り、確認、根掘り葉掘りは重要。
しかし、調査権も捜査権も持っていない報道機関にそれを強く求めるのは酷だろう(と思う)。
本夕、読了。
新聞人は、知識人である。
権力の監視人である。
大衆が意識を向ける方向を示し、大衆を誘導できる立場でもある。
そのオピニオンリーダー、啓蒙者としてのプライドからくるミスリードと言うか恣意的な編集でストーリィを作り上げることもある。
記者、カメラマンの功名心からくるデッチあげという、どうしようもないのさえある。
この先も、思い込みの、憶測の、見切り発車の、デッチあげによる誤報・偽報・虚報はなくならない。
しかし、言論の自由、報道の自由は、謝罪し、経緯を書き、反省し、対策を出し、それにより情報を正していくことで保障されるのだろう。
って、本記事の最終行が、中学生がホームルームで言う程度のことなのがこそばゆい(^^;
コメント
思い込み、憶測、見切り発車、デッチあげ。後から重大な事故につながる原因になることも多々ありますね、人ごとではなく、くれぐれも自分に言い聞かせなくてはと思っています。
思っているにもかかわらず、調べたつもりが
「24年前」を「2年前」と読み違えました。
先日の祝津埠頭に寄港した砕氷艦しらせです。
うかつで抜けててあんぽんたんで何度でも同じことを繰り返す私。
記者という「文章で表現するプロ」だけではなく、ズブの素人でも勝手に書いたものをどんどんネットに挙げている昨今、言論の自由というものは、いろいろ考慮してしまうと結構不自由だなあと感じます。
投稿: めりー | 2022年9月 9日 (金) 09:34
めりーさん、こんにちは
英国女王の逝去は、今日の朝刊には間に合いませんでしたが、日本の新聞社も予定稿を作っていたはず。
ところで、昨年12月にNHK BS1で放送された『河瀬直美が見つめた東京五輪』の字幕に、放送倫理検証委員会が「事実でない内容が半ばねつ造的に放送された」と指摘したとの報道が今朝がたからされています。
ジャーナリズムの世界のみならず、科学者のデータの捏造も珍しいことではありません。
情報リテラシーが言われます。
普段 ワンコインランチで過ごしているヒトの書くアレがウマい、コレがウマいという話は誰も信用しません。
しかし、報道界・科学界から伝えられる情報に、いかほどのリテラシーが我々にあるでしょうか。
誤報・偽報・虚報にだまされのは幸せなことではありませんが、まァ、我々程度には大した実害があるわけでもありません。
って、私はそれでいいのかなァ、っと(^^;
投稿: KON-chan | 2022年9月 9日 (金) 20:04