『峠』を読む
31人による31編の紀行文がおさめられている。
31の峠。
書いている者の職業は色々。
銀行員・俳人・新聞記者・生物学者・物理学者・学生等々。
本書に記述があって私が通過したことのある峠は、
北見峠:上白滝駅から自転車で
碓井峠:横川駅から軽井沢駅までをジェイアール関東バスで
小仏峠:新宿から富士山吉田ルート登山口に向かう富士急バスで
本書の初版は、今年の3月。
が、タネ本は、1939(昭和14)年に深田久弥によって編まれた『峠』。
だから、書かれているのは、
北見峠:石北本線は未開通開部分があり、北見トンネルも開通前
碓井峠:アプト式電車での峠越え
小仏峠:小仏トンネルも中央自動車道も開通前
の紀行。
こんな喫茶店で読み始め。
北見峠紀行を書いたのは、伊藤秀五郎(いとう ひでごろう)。
このヒトの書いたものは、以前にも読んでいる。
明治から戦後すぐくらいまでの北海道内の山行記を読むには、〝駅逓(えきてい)〟を知っておく必要がある。
駅逓とは行政境界の峠などに置かれた、郵便の中継、貨物の中継、それらを運ぶ馬を引き継ぐ施設。
道内に600ヶ所以上あって、宿泊もできた。
登山者だと、そこで食料を調達したり、山に向かう基地にできる。
大正は1926年12月25日で終わり、26、27、28、29、30、31日の6日間が昭和元年。
明けて、1927年は昭和2年。
著者らは4人で、その1月に天塩岳(1558メートル)に登り、その足で北見峠の駅逓に向かう。
北見峠にあった その駅逓を管理していたのは香川県出身の夫婦。
里の開墾地での収穫を終え、雪が積もる頃に夫婦で峠の駅逓に入り、春を待つ。
冬の北見峠の駅逓は訪れる人も少なく 白一色に埋もれてあった。
著者らが訪れた時、駅逓の夫婦は改元されたことも知らずにいたという。
スキーで北見峠に向かった著者らは、湿った雪にワックスが合わずに大汗をかかされている。
本夕、読了。
書かれた時代は古い。
本書は、仮名遣いと字体を旧から新に。
さらに、難読漢字に振り仮名を加えて読みやすくしてはいるが、当時の一級のインテリが、同好・同門の者を相手に書いた文章。
見慣れない漢熟語が多い。
本書は、私にとっては知的峠(^^;
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