『鷹将軍と鶴の味噌汁』を読む
副題は、『江戸の鳥の美食学』。
〝美食学〟には〝ガストロノミー〟とルビが振られている。
著者は民俗学者。
著者によれば、〝美食学(ガストロノミー)〟とは、
料理をめぐる歴史や政治、社会や経済、そして文化の多局面を考究し、
その全体像を考える総合的な学知
なんだと。
おゝ、〝考究〟に〝学知〟とな。
これまでの人生で、鉛筆でもボールペンでも書いたことがなく、キーボードで打ち込んだこともなかった単語の〝考究〟と〝学知〟。
これが、我が指による初めてタイピング(^^)
こんな喫茶店で読み始め。
書名の〝鷹将軍〟とは、徳川吉宗のこと。
〝鶴の味噌汁〟は、文字通り鶴肉を具にした味噌汁のこと。
とはいっても、吉宗や鶴料理に多くの紙数がさかれているわけではない。
日本人が、いかにトリを獲り、どのようにトリを食べてきたかについて、縄文時代から近代に至るまでの、
歴史や政治、社会や経済、そして文化の多局面を考究し、
その全体像を考えた総合的な学知
が、述べられている。
四条流(しじょうりゅう)とは、素手で素材に触れることを一切せずに調理を進める包丁道。
平安時代に始まる。
文献で確認できるトリ料理は このあたりに始まり、江戸時代には料理法・料理屋など かなり詳しく記された文献が残っている。
綱吉によって発せられた生類憐れみの令が支配する時代にも、将軍家から宮中へトリが献上されている。
タンチョウ、ハクチョウ、カモ、カラス、スズメなど、あらゆるトリを日本人は食べてきたことが確かな裏付けのもと考証される。
しかし、どういう理由があってか、日本人がカモメ、ツバメを食べた記載はない。
本夕、読了。
皇室は鴨場を持つ。
賓客らを交え皇族が、手に持った網で狩る。
伏見稲荷大社裏参道には、スズメ(とウズラ)の姿焼きをウリにする食い物屋が店を出している。
スズメ(とウズラ)の姿焼きなら、我が町にも提供する焼き鳥屋がある。
東京新橋。
トリ料理の店、末げん(すえげん)。
1970年、陸自市ヶ谷駐屯地で割腹自殺する三島由紀夫の最後の晩餐は、ここでのトリ鍋。
1985年8月のJAL123 羽田発伊丹便の墜落事故。
現場から収容された遺体の安置所を兼ねた検視所となった体育館に集まった関係者へ、最初に配られた弁当はトリ飯。
誰も食べなかったという。
板わさ や とりわさ を肴に蕎麦屋で酒を呑む。
板わさ ならともかく、とりわさ ともなると、相当イキなオトコでないとカッコウがつかない。
もっとも、北海道の蕎麦屋で ンなものを注文しても出てはこない。
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