『江戸の間取り』を読む
日光東照宮にまつられているのは、家康。
神社だから、祭儀の進行は神職。
家康以降の将軍の墓所は、上野の寛永寺、または芝の増上寺。
寛永寺は天台宗。
増上寺は浄土宗。
祭儀の進行は僧侶。
歴史の薄い北海道の住職・宮司でさえ、自身の属する寺社系図の本家・分家を言い、檀家・氏子の関係を面倒くさくする。
しかし、本家・分家を言っているようでは素性が下々、小さい小さい。
そんな下々と違い、将軍はやはり将軍。
宗旨どころか、宗教さえ違っても、面倒くさいことを言わない。
〝良きに計らえ〟
だったのだろう。
もっとも、神道は〝道〟、仏教は〝宗〟。
古くから、神仏は習合していた。
こんな飯屋で読み始め。
江戸城下は、大火で数度焼き払われている。
城下のみならず、将軍居住の江戸城自体も焼いている。
大火後、現代で言うところの、〝都市計画〟に基づいた江戸の再建幾たび。
なので、ゼンリンの住宅地図並みの江戸地図が、今に伝わる。
寛永寺・増上寺とも、徳川家菩提寺だったことが災いし、明治新政府に境内領地の多くを取り上げられている。
上野公園は、元々は寛永寺
芝公園は、元々は増上寺
の、境内だった。
本夕、読了。
イラスト多数。
それが精緻。
江戸庶民の住まいは、〝九尺二間〟。
これを、〝きゅうしゃくにけん〟と発音しては笑われる。
〝くしゃくにけん〟。
間口 九尺(一間半):2.7メートル
奥行 二間:3.6メートル
10平米、6畳。
そこで炊事し、食う寝る。
水場、便所は屋外共同。
一人用山岳テントの床面積は、
間口 1メートル
奥行 2メートル
2平米、1畳ちょっと。
そこで炊事し、食う寝る。
現代人も大したものだ。
という評価は、的を遠く外している・・・(^^;
コメント
こんにちは。
過年、萩市で吉田松陰の屋敷をみた事が
あります。
沢山の若者が学んだ部屋が、確かに狭かったと
記憶しております。
まあ、当時の日本人の体格から、その広さで
良かったのでしょう。
自艇も、船上の行動範囲は、一人用の山岳テントと
同じくらいのスペース。
釣った魚の量もそのスペースに見合っています。
早く希望の風に落ちないかと祈るばかり(笑)。
投稿: きーさん | 2022年5月 3日 (火) 12:31
きーさん、こんにちは
私も松陰の松下村塾の講義室を訪れたことがあります。
狭い部屋でしたね。
我が艇の釣りスペースもそんなもんです。
ペール缶を二つ積んでいますが、一つあれば間に合ってしまう釣果でいつも終わっています。
ペール缶を二つ使わなければならないような釣果が出る釣りをしたいものです。
風ですね。
風がおさまったら、ナギの沖でお会いしましょう。
投稿: KON-chan | 2022年5月 3日 (火) 17:29