『まっくら』を読む
鉄鉱石とはFe(鉄)とO(酸素)が結び付いた、言ってみればサビの集合。
鉄原子1個に酸素原子1個 FeO
鉄原子2個に酸素原子3個 Fe2O3
鉄原子3個に酸素原子4個 Fe3O4
さらに、水酸化物や硫化物が結合しているものとかとか。
ごく手短に言うと、その精錬のスタートは、
FeO+CO → Fe+CO2
工業規模の精錬では、この反応に必要な高温と一酸化炭素を石炭から得る。
近代製鉄では、鉄鉱石1トンを精錬するのに0.7トン程度しか石炭を要しないが、本書が扱っているのは明治の後半から戦後間もなくくらいまでのこと。
当時だと、鉄鉱石1トンの精錬に、石炭を今の倍以上、1.5トンも要していた。
ところで鉄鉱石の見掛け密度(嵩(かさ)密度)は4くらい。石炭のそれは、1.5くらいだから、体積で言うと、石炭は鉄鉱石の6倍近くも必要だったことになる。
官営八幡製鉄所で使う石炭の供給は、筑豊炭田から。
筑豊の中核 直方市にある石炭記念館を訪れたことがことがあった。
本書表紙の絵を、私はそこで見ている。
こんな飯屋で、読み始め。
本書は、筑豊で坑内労働をしていた女性ら(坑内労働婦)からの聞き取りを、一人称で語る体裁。
工業規模で石炭を扱うヒトは、それを〝スミ〟と呼ぶ。
本書の坑内労働婦は、それを〝イシ〟と呼ぶ。
〝イシ〟
重い言葉だ。
入坑を、ヤマの者たちは〝さがる〟という。
斜度30°。
かがまないと進めない狭い坑道を、口に安全灯をくわえて切羽(きりは)までさがる。(注1)
坑内では、掘られた石炭を竹製・木製の函(ハコ)に詰め、やはり安全灯を口にくわえて引きずりあげる。
すぐ上で、〝かがまないと進めない〟と書いた。
荷を引きずって、斜度30°を上がって行けるのは、その坑道が狭いから。
手足・背中で突っ張ることができる。
ダイナマイトを1日に600本も使って炭層を崩す。(注2)
ダイナマイトを装填した穴をふさぐドロは坑内では得られない。
それを背負ってさがる。
これらが、坑内労働婦の仕事。
出坑を、ヤマの者たちは〝あがる〟という。
坑口近くまで上がり外の光が見えると、彼女らは思う。
「あゝ、生きてあがってこれた。 子供たちの顔を見られる」
生きてあがってくる、そのたびにそう思う。
本夕、読了。
1日、12時間から16時間の労働。
2交代。
夫婦で坑内に入る者が多かったようで、ヤマには幼稚園も24時間保育所もあったことが書かれている。
それでも子供は子供、母親は母親。
ぐずる子を背負ってさがることもあったと。
労務課とか勤労課と呼ばれる管理セクションの職員が、坑内でセナ(テンビン棒)でこずきながら作業者を監督する。
14時間働いて、さてあがろうと坑内労働婦が5人、6人で。
と、さがってきたセナを持った監督者。
監「ノソン(早引き)しよるか、バカもんが」
婦「なんがノソンえ。 人を監獄行きみたいにこき使うて」
監「なんや、もういっぺんいうてみ」
婦「ああ、いっぺんでもにへんでも言うよ。
うちらも人間ということ忘れるな」
で、ヤマのオンナたち。
奪い取ったセナで、監督者を病院送りになるまで打ち付ける。
成熟前だったから、と、言っていいのかどうか。
動労・全逓・日教組など官公系組織の労働運動は、要求・実力(スト)行使、そして処分の循環だった。
ヤマは国策事業だった。
炭労もまた、要求・実力(スト)行使が先鋭的だった。
病院送りになった監督者の職制の長。
組合幹部と向かい合う立場のその彼がエライ。
彼女らを罰することをしていない。
筑豊炭田における坑内採掘の終わりは、1973(昭和48)年。
(注1)
安全灯とは灯芯を金網で包んだランプ。
適切に使えば、坑内発生ガスへの引火を防ぐ。
引火を確実に防ぐ・・・
わけでないから、怖い。
(注2)
今の我々が思うようなダイナマイトではないようだ。
1本のダイナマイトで崩せる炭層は、函に数杯分くらいだった由、書かれている。
コメント
おはようございます。
女性も炭鉱の労働に携わっていたんですね、知りませんでした。
坑道はかなり狭いでしょうから、身体の小さい女性は逆に入りやすかっただろうとはいえ、過酷だったでしょうね。
私、仕事で閉所恐怖症の人と関わる機会がよくあります。
意外と多いんですよね。男性に多い印象があります(もちろん女性にもいますが)
実は、私も閉所恐怖症の予備軍です。
狭い坑道にさがるような仕事は、私にはできないと思います。
因みに、病院で閉所が怖くて検査が受けられない人は沢山いますが、看護師さんが検査の間ずっと手を握っててくれますので遠慮なくおっしゃって下さい。
そういう人、沢山います。恥ずかしいことでは全然ありません。
投稿: めりー | 2021年11月20日 (土) 07:07
めりーさん、こんにちは
筑豊炭田はミルフィーユ状に石炭と土砂の層が積み上がっています。
その石炭の層が薄い。
なので坑道が狭いのですね。
この坑道の地図が不完全なようで、あのあたりに道路を作る際などは詳細な地盤調査が必要なようです。
夕張や芦別もそうでしたが、石炭の町はほぼそれで閉じていて、採炭会社が
炭住
配給所
病院
浴場
などを運営していました。
物資の直接支給やそこで使える金券を給料の一部にしていたようです。
歩合制。
住むところは保証されているので、週に3日しか働かない者もいたことが書かれています。
閉所恐怖症のためMRIのあの輪に入れないヒトもいるようですね。
その極端な様子を、エドガー・アラン・ポーの『早すぎた埋葬』で読みました。
今ならVRゴーグルを装着させれば、対応できるかと。
投稿: KON-chan | 2021年11月20日 (土) 08:16