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2021年8月23日 (月)

『なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか?』を読む

江戸時代。
時刻は日の出・日の入りが基準。
一日の始まりは明け六つ(卯の刻)。
昼を6等分して、明け六つのあとは、
 朝五つ(辰の刻)
 朝四つ(巳の刻)
 昼九つの刻)(注)
 昼八つ(未の刻)
 夕七つ(申の刻)
同様に夜も6等分して、
 暮六つ(酉の刻)
 夜五つ(戌の刻)
 夜四つ(亥の刻)
 暁九つの刻)
 暁八つ(丑の刻)
 暁七つ(寅の刻)
で、明け六つに戻る。
 
江戸は不定時法。
季節によって変化する日の出・日の入り時刻、昼の長さ・夜の長さ。
それを刻む和時計(櫓時計:やぐらどけい)は、家康の時代には既に国内技術で実用レベルのものが作られていた。
が、
機構が複雑で維持に手の掛かる代物。
なので、それを所有できたのは大名・大寺院・大商家のみ。

武士は公務員。
城・屋敷から離れて生活する通いの武士らは、登城・入門に遅刻できない。
彼らは、どのように時刻を知ったのか。

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札幌駅発、上り特急先頭車クハ789-2007の2D席で読み始め。

祝津町の造船所は、始業時刻・正午・終業時刻にサイレンを吹鳴する。
我が町内会、正午に「いい湯だな」、17時に「夕焼け小焼け」がどこからともなく流れる。

江戸も同じく、音。
回数は多く、明け六つから暁七つまで1日12回。
音源は太鼓。
のち、鐘になっている。
城下、あちこちに鐘楼を建てたようだ。
鐘を鳴らすには、鐘を撞くヒトがいる。
1日12回の鐘撞きを何人交代でやったのかまでは本書に記されてないが、気の抜けない仕事だった旨が書かれている。

本夕、読了。

著者は歴史考証家。
テレビや映画の時代劇を監修する。

江戸城下、既婚女性は歯を染め(お歯黒)、眉毛を抜いていた(引眉)はず。
しかし、そんな化粧をして演じる女優はまず見ない。

「オイ、クマ。 何をサボってやんでェ」

どちらも、本書著者のチェックを受けずに放映されたモノだろう。

(注)
昼九つ(午の刻)は正午。
太陽が最高度(南中)にあるときで、不定時法によっても現在の定時法によっても季節で変わることはない。
暁九つ(子の刻)は深夜零時。
太陽が地球の裏側で最高度(北中(南中ではない))にあるときで、これも不定時法によっても現在の定時法によっても季節で変わることはない。

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コメント

おはようございます。
昔は時刻をどのように知っていたんだろう?って、疑問に思っていました。
和時計ですか、面白いですね。不定時法のほうが私はしっくりきます。くるけど、それでは世界基準がめちゃくちゃになりますね。
ところで、星撮りを始めた時に北が見えない室内で赤道儀を設営するにあたって、基礎知識も無いため極軸を取るのに当初非常に苦労しました。いろいろ試行錯誤しましたが、太陽の南中時刻で真南→真北を定めるというのもやってみましが、私の簡易で安直な手技では真南が出なかったようで、何度やっても4度くらいもズレました。結局ドリフト法で軸を定めています。
わずか4度ですが、観測するには致死的です。江戸どころか、太古の大昔の人の観測技術には驚愕します。

投稿: めりー | 2021年8月24日 (火) 05:25

めりーさん、こんにちは

和時計の動力は重力です。
札幌時計台同様、オモリ。
ロンドンのビッグ・ベンも同じです。
鳩時計も同じですね。(今の鳩時計のオモリはただの装飾になっていますが)
和時計は櫓時計とも称されますが、あの櫓の中にオモリがぶら下がってます。

南中時刻は通年同じなはず。
で、レンズを南に向けたカメラを一年間通して据え、南中時刻に毎日シャッターを切った写真を見たことがあります。
24時間に1枚のタイムラプス画像です。
赤経線上に、直線に太陽が並ぶはずです。
ところが、太陽の並びは〝8〟の字になります。
我々が理想とする通りには地球は動いてないのですね。
なお、〝8〟の上下と真ん中の交差点を結んだ線は直線となって赤経線上にあります。

めりーさんは、船舶免許取得時、六分儀の実技がありましたか。
面白いです。
正確な時計と太陽・月・恒星の位置表を使います。
あれで、2′程度の精度で自位置は出せるようです。

ということと赤道儀の極軸を合わせることは違いますね。
北天を望めない場合は、ドリフト法で追い込んでいくしかないんでしょうね。

16世紀の天文学者のティコ・ブラーエの観測データだけを使って、ケプラーは第1から第3法則までを定式化しています。
望遠鏡の発明はその後、17世紀になってからです。

投稿: KON-chan | 2021年8月24日 (火) 09:19

太陽の南中時刻が一定と書いているものと、南中時刻は変化すると書いているものがありますね。月と同じように地球も秤動しているのなら、きっかり同じ時刻になる説にはちょっと無理があるように(根拠なく)思います。
私が太陽の南中を調べた時は、11時半くらいでした。南中って正午じゃなくそんなに早い時間なのか!と思いました。
最近は地軸の傾きが変化しただとかも聞きますし、そもそも大気を通して太陽を見る以上、それって屈折なんかにも影響されそうです。

六分儀の実技はありませんでした。「ろくぶんぎ」という星座の名を知るだけで、現物を見たことはありません。
正確な時間はどこで知るのか?それこそ時計の技術が普及していなかった時代には、まさか鐘の音を使ったわけでもないでしょう。
やってしまえばドリフトが一番簡単で確実でした。多少の極軸ズレは、オートガイドを使ってズルしていますけど。

投稿: めりー | 2021年8月24日 (火) 11:12

日本の標準時は東経135°において。
東経135°における太陽の南中時刻が、日本の正午です。
めりーさんがお住いの札幌は東経141°30′くらいなので、6.5°東。
24時間÷360°×6.5°
ということで、30分くらい早くなります。
めりーさんの観測通りです。

南中時の太陽ですから、大気による屈折は考えなくてもいいと思います。
秤動も考えなくてもいいと思います。
なぜなら、視点を太陽に移して、太陽から地球を見ると、地球は〝8〟の字の周期1年のピリオディックモーションをしていることになります。
地軸の傾きを考えると起きる秤動は南北。
〝8〟の字運動は東西の動きがないと説明できません。

GPSのなかった時代のヨット乗りは、六分儀で天測して航海していたはずです。
で、おっしゃる通り、精度の良い時計が必要です。
18世紀には年差1分を切るところまで時計(クロノメーター)の精度が上がっています。

日本を夜間爆撃したあと、航法を誤って自機位置を失ったB29に搭乗の航空士の手記を読んだことがあります。
六分儀を使った天測を完了するまで、玄界灘上空を何度も旋回したようです。

六分儀は〝ろくぶんぎ〟と発音しますね。
星座も〝ろくぶんぎ座〟。
ところが、私の知っている一等航海士経験の退役船乗りは、〝ろっぷんぎ〟と発音します。

投稿: KON-chan | 2021年8月24日 (火) 13:15

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