『百年の誤読』を読む
徳富蘆花の『不如帰』から、J・K・ローリングの『ハリー・ポッターと賢者の石』まで、20世紀の100年間を10年ごとに区切り、各10冊ずつを抽出。
計100冊を、二人の読書人が語る。
抽出の基準はベストセラーであること。
だから、『ハリー・ポッター』もあれば、サルトルの『嘔吐』とか、ミッチェルの『風と共に去りぬ』といった翻訳モノも含まれる。
月刊『ダ・ヴィンチ』に20回にわたって連載された対談集。
こんな喫茶店で、読み始め。
本書の帯には、
〝日本文学史上で話題となったベストセラーを希代の本読みふたりが大解剖〟
とある。
確かに〝希代の本読み〟。
二人に肯定的に書評されるベストセラーは少ない。
大部分は二人に悪評される。
しかし、ここまで徹底的に読み込み大解剖・小解剖したゆえの評。
著作を評された作家自身も納得するに違いない。
本夕、読了。
「テレビは見ない」
と言うヒトがいる。
知的生活者、そこまで言わずとも「オイラ、バカじゃないヨ」ということを言いたいのかなァと思うが、さてェ。
テレビを見ないヒトの、情報の取得先は ほぼネット。
で、ネットから得る情報は、自ら拾いにいく情報。
〝自ら〟というバイアスのある情報。
一方、テレビからの情報。
〝自ら〟というバイアスのない、受像機の向こうから一方的に送られてくるもの。
それを処理する頭の働きは、マウス片手に得た情報を処理するより はるかに複雑・知的。
読書は、「テレビは見ない」と言うヒトのアタマの使い方に近い。
しかし、本書は〝テレビを見るヒト〟が得る情報と同種。
本書読後感は、サカナ釣りばかりで進行中のバカが一瞬止まった気分(^^)
コメント
おはようございます。
書物に限らす、どんな物もあらゆる事が他人に勝手に評価されます。しかし、それには評価する側の主観が大きく加味されることもあると思います。その評価が正しいとは限りません。
物事の一方的な側面しか見えないのは、いっそ可哀相だなあと思います。
人の目に見える形にするためには、一方的なほうが、受け取る側は判りやすく肯定も否定もしやすいとも理解しています。
私、テレビを見る時間がめっきり減りました。
テレビの影響力の大きさは仕事をしていても実感できますが、あまりにも情報が偏っています。飽きちゃいました。かといって、必要に迫られなければネットで情報を拾いに行くことも少ないです。
ごく限られた自分の世界しか見えなくっている私こそ、バカなやつだと貴殿に言われるに値するでしょう(笑)
まもなく、凪ぎそうですね。
投稿: めりー | 2021年8月19日 (木) 05:04
めりーさん、こんにちは
コメントを頂きまして、どうもありがとうございます。
テレビ放送の黎明期のこと。
テレビというメディアは低俗だ。
なので、日本民族はテレビによって〝一億総白痴化〟すると言った人がいました。
私はこれに大いに異議を唱える者です。
放送局から送られてくる情報は玉石混交。
いや、石石混交かもしれない。
しかも一方的。
でも、ランダムです。
ところでネット情報というのは、自分でわざわざ取りにいきます。
結局は、自分のアタマで処理できるものだけを選択しているのではないのかなァ、っと。
まァ、すっかり白痴化した私のタワゴトです。
貨幣価値、コスパがどうとかで価値を考える人もいます。
私には、価値とか意味とかよく分かりません(^^;
凪ぎそうですね。
凪いだ海には最高位の価値を与えたいと思います(^^)
投稿: KON-chan | 2021年8月19日 (木) 10:16