『臨終、ここだけの話』を読む
本著者は、臨床経験50年を超す内科医。
立ち会った看取りの現場は数千と書く。
こんな喫茶店で、読み始め。
古い医学書には、「餓死」とは、
極度な栄養状態の低下が原因で多臓器にわたり機能が低下することが
原因で免疫が低下、感染症を併発し、余病も相まって命を失うこと
と書いてあるそう。
だが、今の医学書には、「栄養失調症」という言葉はあっても、「餓死」・「飢餓状態」という言葉は出てないと。
しかし、著者は書く。
著者の古くからの知人の少し血圧が高めの60代の男。
室内デザイナーとして羽振りが良かったのだが、それが傾き母親と抱き合って死んでいるのを発見される。
死は、母・息子どちらが先だったのか。
二人とも「餓死」。
本夕、読了。
新聞のおくやみ欄。
結構 掲載数に変動があり、北海道全体では、少ない日だと1面の1/3くらい。
多い日だと、1面だけでは足りずに、1面とプラス1/5くらい。
60代の故人の喪主が、〝めい〟とか〝孫〟。
40代の故人の喪主が、〝兄〟。
40代、50代、60代の故人の喪主が、〝母〟。
いや、20代、30代の喪主が、〝母〟というのも見る。
以下、私の経験。
実家から遠い進学先で、自ら死を選んだ20代。
もう一人は、実家から遠い就職先で、自ら死を選んだ20代。
どちらの故人も、迎えに来たのは母親一人っきりだった。
臨終の場に立つ者は誰でもつらいだろう。
臨終のそのあと。
臨終のそのあとが、つらい死もある。
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