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2021年1月13日 (水)

『奇跡の軍馬 勝山号』を読む

国鉄の貨物車両にワム70000があった。
馬輸送用貨車で、通風と明り取りに工夫があり、馬が6頭載せられる構造だった。
今はない。
トラック輸送。

牛が、トラックで輸送されているのを見たことのあるヒトは多いだろう。
牛は車の進行方向に対して直角に、頭を外側に向けて荷室に載せられている。
しかし、トラックの荷室に牛の頭を見たことのあるヒトはいても、馬の頭を見たヒトは少ないと思う。
馬は進行方向を向いて荷室に載せられる。
また、馬は流れる風景に興奮しやすいので、荷室の明り取り窓は小さく、かつ馬の視界に外の風景が入らないように載せられているからだ。

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こんな喫茶店で、読み始め。

馬は25年くらい生きる動物らしい。
しかし、岩手県で生まれた馬名 勝山号(かつやまごう)の生涯は、
 誕生 1933(昭和8)年
 死亡 1947(昭和22)年
の15年。

副題は、『日中戦争から生還を果たした波瀾の生涯』

著者の曽祖父は勝山号の所有者だったので、著者は勝山号に関する資料に近いところにいる。
資料に豊富に触れているせいか、話が細かいしアッチコッチへの寄り道もあり、本書は大変に読み辛い。
私の備忘のため、勝山号の生涯を以下に年表風にまとめる。

・1937(昭和12)年(5才) 
 日支事変勃発により徴発され、大陸に渡る。
 高級指揮官乗馬として大陸を転戦中、銃弾・砲弾片を受けること三度。
 内、一度は致命的重症だったが、回復。(注1)
 なお、騎乗した指揮官は6名。
 内、4名が戦死。

・1939(昭和14)年(7才)
 現地で殊勲の賞状を受け、広く報道される。(注2)

・1940(昭和15)年(8才)
 大東亜戦争対応のため、東京に移送。

・1945(昭和20)年(13才)
 生地岩手に戻る。

・1947(昭和22)年(15才)
 元第八師団(弘前)の将官獣医他二名の獣医の治療の効なく死亡。

本夕、読了。

第二次世界大戦参戦国で、戦場で馬を使わなかったのは米国だけ。

帝国では馬は重要な戦力と考えられ、帝国陸軍は騎兵学校・獣医学校を持っていた。
帝国陸軍では、馬3頭にその世話をする兵が1名の割合で配置されていたという。

本書、最終ページに近いところにあるのは、戦場でたおれた馬に水筒で末期の水を飲ませる兵の写真。
それが、哀れで悲しい。

(注1)
本書に勝山号の解剖所見が載せられている。
貫通銃創が5個所。
脳内からは、砲弾片が見つかっている。

(注2)

ドイツ兵がドーベルマンを連れて哨戒している写真がある。
映画『史上最大の作戦』には、ノルマンディーに上陸した英国兵が何十羽もの鳩を飛ばすシーンがあった。
帝国軍も、馬のほかに、犬・鳩を戦場に連れて行っている。
また、軍馬同様、功績のあった軍犬・軍鳩も表彰している。

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