« まもなく北西風 | トップページ | 流されては、また戻る »

2020年12月 4日 (金)

『阿佐ヶ谷姉妹の のほほん ふたり暮らし』を読む

阿佐ヶ谷姉妹。
舞台立ち位置、
  上手(かみて:向かって右)がエリコ。
  下手(しもて:向かって左)がミホ。
エリコはミホより一つ年上。
実の姉妹ではないが、ミホはエリコのことを〝オネエさん〟と呼ぶ。
エリコはミホを、〝ミホさん〟と。

二人の初志は舞台女優。
劇団の養成所に通っていたが、しかし、それはかなわず。(注1)

エリコが住んでいた阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートへ、ミホを同居に誘う。
そして、同居生活6年。(注2)

Photo_20201126172101
こんな飯屋で読み始め。

その二人暮らしの日常が、エリコ・ミホ交互につづるエッセーで語られる。

六畳間に、こたつテーブルを挟んで、各々の布団を敷く。
起きて半畳 寝て一畳、天下取っても二合半。
そのことわざ通り、各人の割り当て面積、一畳。

商売をしている夫婦なら、仕事も食事も住むところ寝るところも一緒の生活を何十年も続けるというのは当たり前。
だから、二人が長いこと同居生活を続けていけることに何も不思議はない。

東京 阿佐ヶ谷。
深い人情の町のようだ。
近所のウナギ屋からは、夕飯のお菜にと餃子が届く。
食堂では、ランチを夜時間帯にも出してもらえる。
月曜休店の寿司屋に日曜日に入ると、在庫をさばくため寿司ネタ大盛り。

私の住む田舎町にもない、こんな空間が東京には残っている。
これが不思議。

本夕、読了。

浮き沈みの激しい芸能界に生きていることを自覚している二人。
生活は堅実。
どこにでもいそうで、案外、珍しいタイプの人柄なのかもしれない。

二人が書いた短い小説がとじられている。
これがなかなかのでき。

(注1)
お笑いコンビの阿佐ヶ谷姉妹として活動してから、女優として舞台・TVドラマへの出演を果たす。
本格的俳優訓練を受けているヒトのこと。
演技の評価は高いようだ。

(注2)
アパート隣室の住人が大学院生。
その院生が越すことに合わせて、エリコが隣へ移り6年間の同居生活を解消した。

« まもなく北西風 | トップページ | 流されては、また戻る »

コメント

おはようございます。
この姉妹がまったくに他人と知っても、信じられません。
寄せてるとはいえ、ほんとにそっくり!!
血縁があれば声帯の形状も似てくるので声も近くなるのはアリですが、この姉妹。声も似てますよね。(そして抜群にお上手)
私はこのおふたり、好印象です。

肉親でも関係が上手くいかなくなることは、よくある話しです(私もそのひとり)
血縁がなくても、それ以上の関係が築けることも、事実です(私もそう)

元々「田舎」と呼ばれていた町は、もはや消滅の危機がせまっていたり。
実際に、あと10年経ってそんな町がどうなっているかと考えるような地域は多いですね。
案外、東京のほうが人が多いぶん、情も多いのかも知れませんね。

余談ですが、先日余市で「ご自由に」とあった文庫を数点いただいてきました。
新田次郎の「銀嶺の人」
どうやら冬岩の話しでしたが、ちょうど上巻を読み終えるところです。

投稿: めりー | 2020年12月 5日 (土) 09:00

めりーさん、こんにちは

似ています。
歌唱力もあります。
いい雰囲気です。

在住の阿佐ヶ谷に750円で鰻丼を食べさせる店があり、二人はそこの常連。
そこの主人に、姉妹と間違われ、
「似てるなァ。 『阿佐ヶ谷姉妹』として何かやってみては」
と。
直後に、エリコが自分のブログに、
「『阿佐ヶ谷姉妹』です。 何でも承ります」
みたいなことを書いたところ仕事が。
それが芸能界入りの顛末のようです。
二人とも、盛ったり卑下したり脚色したり気取ったりのない、淡々とした自然な文章を書きますね。
エリコのほうは中・高の国語教員免許を持っているよう。
この二人、ツメを隠した能あるタカですね。

ひとりひとりは、どこにでもいるようなヒト。
コープさっぽろやラルズで、サラダオイルや冷凍のミックスベジタブルなんかを入れた買い物カートを押しているヒトにいませんか。
阿佐ヶ谷姉妹の姉にそっくりなヒト。
阿佐ヶ谷姉妹の妹にそっくりなヒト。

地方都市でも、パン屋と洋菓子店はむしろ増加傾向。
しかし、魚屋、八百屋、本屋はすっかりなくなりました。
総菜屋なんか、デパ地下、スーパー、コンビニのコーナーですもンね。

東京にはありますね。
駄菓子屋、魚屋、八百屋、玉子焼き、揚げ物等々。
大江戸八百八町、江戸の人口は今の十分の一。
そこにあった蕎麦屋の数は現在を超えるそうですから、個人が個人を相手にする土地柄なのかもしれません。(って、これはこじ付け)

新田次郎のものは、『強力伝』を読んだくらい。
奥さんの藤原ていの書いた『流れる星は生きている』
息子の藤原正彦の書いた『若き数学者のアメリカ』
は読みましたが。
『銀嶺の人』は女性ロッククライマーの話のようですね。
読後はきっと、山はいいなァと感じることでしょう。
ウン、山はいいよォ。

投稿: KON-chan | 2020年12月 5日 (土) 11:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« まもなく北西風 | トップページ | 流されては、また戻る »