『羆吼ゆる山』を読む
著者の生まれは早来。
湧別で幼少期を過ごし、歌志内の炭鉱で職を得、その後、室蘭で土木会社を起業した人。
利き手の右手を事故でつぶし、1年間の入院。
その入院生活中、左手で書く練習。
その量、便箋に300枚。
退院後、それを原稿用紙に書き写すと4000枚になったという。
そこから、『秘境釣行記』と本書『羆吼ゆる山』が上梓されている。
本書は、著者の小学校低学年時から、新歌志内鉱から赤平鉱に配置転換となる'53(昭和28)年までの身辺の話。
1925(昭和元)年から1960(昭和45)年頃、著者10歳から45歳くらいのこと。(注)
こんな喫茶店で、読み始め。
北海道の川も山も豊かだった頃だ。
川からはヤマベ・イワナを。
山からはヤマドリ(エゾライチョウ)・キノコを。
それは また川も山も危険だった頃だ。
氾濫した川に流されて死ぬ少女。
山中を行く人影を追うが、人影に見えたのはヒグマ。
父親の影響で幼年期から銃を扱いヤマドリ・ウサギを狩る話から、坑内夫の過酷な労働の話まで。
全体を大きく4章に分け、24のトピックスが時系列順に並べられる。
本夕、読了。
25年から50年も前のことを著者は振り返る。
〝昔は〟というフレーズを枕に、川のこと山のこと海のこと、あるいは自分のことを言うヒトは多い。
それほど遠い過去を持たないヒトでさえ、〝昔は〟。
と。
しかし、著者は本書内で、ただの一度もこの〝昔は〟という言葉を使わない。
著者は、何十年も前の、
雨の山道を歩く心細さ
姿を見せずにヒグマがこちらをうかがっている気配
増水した川の水の色
坑内夫の汗を吸い塩を吹いた作業着
をたった今のことのように書く。
shinyaさんから頂いた本。
(注)
本書には、整理された年譜は記されてないが、文章から拾って並べると以下の通りとなる。
'17(大正 6)年 著者誕生
'34(昭和 9)年 父親と初めてヒグマを撃つ(18歳)
'37(昭和12)年 一人でヒグマを撃つ(21歳)
住友石炭鉱業臨時工として採用、のち、正社員
'39(昭和14)年 応召(23歳) 北支(中国北部)出征
'40(昭和15)年 除隊(24歳)
住友石炭鉱業へ復職
'63(昭和38)年 住友石炭鉱業を退職(47歳)
友人の招きで室蘭の土木会社へ、のち土木会社を起業
'84(昭和59)年 右手負傷(68歳)
'90(昭和65)年 『羆吼ゆる山』上梓(74歳)
コメント
「昔は」という枕言葉を使うには、私はまだ自分の歴史が浅すぎるでしょう。
基準というのは何でも、人それぞれ。
時間の流れ方も、流れる量も。
たった今のことのように書く、なんとまあ。
エゾライチョウというのがいるんですね、道産子なのに自分の土地のこともよく知らないので恥ずかしい話しです。
その生息数も、だんだん減っているようですね。
いろいろ、難しい話しです。
投稿: めりー | 2020年11月21日 (土) 19:18
めりーさん、こんにちは
室蘭岳ではエゾライチョウを見ることができます。
ササヤブの開けたところに降りてきて、そこからヤブの中に入っていきます。
理由は分かりませんが、見るのは決まって水元沢コースの850m付近。
西尾根コース、南尾根(夏道)コースで見たことはありません。
ライチョウと違って高い山にはいないようで、羊蹄山や大雪山で見たことはありません。
私は過去に学べないバカ。
なので、私のこのブログでも、「昔は」というフレーズを使ったことがありません。
150歳くらいになったら、さすがの私も過去を振り返るでしょう。
その年になったら、「昔は」を使ってみようかしらん(^^;
私が使わないくらいですから、めりーさんの口から出るのは、まだまだずっと先のことですね。
千・万・億の単位の過去の光を定着しているめりーさんには、5年・10年・100年前なんて、たった今のことでしょう。
燃える木。
露光はトータル1時間を超えるんですね。
新しい対象がモニターに現れるたびに、うれしくなるんだろうなァ。
私でさえうれしくなるもんなァ(^^)
投稿: KON-chan | 2020年11月22日 (日) 00:30
この方、大正6年生まれ、私の親父の世代ですねぇ。
生きていたら103才。親父は大正3年生まれでしたから。
私の親父は、子供の頃の話はほとんどしなかったので
どんな生活をしていたのかも知らない。
母も、あまり同じ、今思えば、聞きたかったと思う。
自分が年を取ったからなのか。。。
私には子供が居ないから、話す相手も居ないので
仕方ないけど、居れば話していたかもなぁ。
と思ったりすると言う変な感想でした。
投稿: 川染利夫 | 2020年11月22日 (日) 05:11
川染さん、こんにちは
私の父方はきょうだいが多く、親父は上から2番目。
年の順に墓に入ってます。
その葬式・法事で集まるたびに、生家のことを聞きますが、親父から直接聞いた話は少ないですね。
新聞のおくやみ欄には、高齢で亡くなった方の喪主が、孫とかめいと書かれているのを見ることがあります。
ひとごとながら、なんとなく、気になります。
若くして亡くなった方の喪主が、母だったり兄だったりすると、事情を知らないのに胸が締め付けられるような気がしますね。
私も、そろそろ子供らに自分のことを話していい頃かもしれません。
投稿: KON-chan | 2020年11月22日 (日) 06:59
おはよーございます。
今朝は海に行くかどうかでさんざん悩んで、荷物を玄関に全部準備して、明け方に中止しました。
KON-chan号と海でお会いしたかったです。
横入りですが、
自分のことを話す機会があるなら、是非。
知ってくれる人がいるというのは、いいものです。皆がみんな、できることではありません。
私も伝える子孫がありませんから、誰にも知られず記憶に残さず、白鳥湾に沈む予定です。
投稿: めりー | 2020年11月22日 (日) 07:51
今日は、沖に浮かんでいました。
しかし、ナギは短く、サカナも掛からず。
めりーさんの中止の判断は賢明だったと。
でも、拝顔できないまでも、せめてお声だけでもお聞きしたかったなァ。
子供が生まれた瞬間、我が家からオンナ、妻がいなくなりました。
いるのは、オンナ、妻から母親に変身したヒト。
子供を持つと家庭は全てが子供が基準、子供が中心。
悪くはないですが、それがどうだったのか。
改めて考えてみると、さて、子供に話すだけのモノが私にあるのかしらん。
見せるべき背中もなかったしなァ(^^;
めりーさんは白鳥湾に沈みますか。
私もお供します(^^;
投稿: KON-chan | 2020年11月22日 (日) 15:29