『みんな山が大好きだった』を読む
本書の登場人物は山で死んだヒト。
森田勝 享年43 グランド・ジョラスにて
加藤保夫 享年34 エベレストにて
長谷川恒夫 享年44 ウルタルⅡ峰にて
加藤文太郎 享年30 槍ヶ岳にて
等々。
著者は『江夏の21球』の山際淳司。
こんな喫茶店で、読み始め。
1949年1月、厳冬期の槍ヶ岳で遭難死した松濤(まつなみ)明の享年は26。
松濤の言葉が紹介されている。
「山は、ロマンチストでなければ登れません」
著者には、スポーツを題材にした著作が多い。
著者自身は特にスポーツ経験も登山経験もないようだが、取材・資料の読み込みは丁寧。
だからだろう。
山で死に もう直接には話を聞けないアルピニストたちに代わって、著者は書く。
山における単独行者は孤独な時空間を渇望している。
孤独な時間は人間にとって不可欠なものだ。
そのときはじめて自分を取り戻すことができる。
そのときはじめて取り戻せる「自分」というものがある。
と。
本夕、読了。
著者は、どこまでも文章のヒト。
若く死んだ者は皆美しい。
若く山で死んだ者を描く著者の文章は美しい。
私は登山とも言えないハイキング山行者だが、ソロ歩きの実践者。
だから、知っている。
山を登っている単独者は、自分を取り戻したりはしない。
取り戻す自分も、取り戻せる自分も、山中では決して見つけることはできない。
しかし、『みんな山が大好きだった』のは確かだ。
山際淳司の絶筆が本書。
山際淳司の生涯も短い。
享年46。
shinyaさんから頂いた本。
コメント
みんな若くして、勿体ないなあとも思うし。
今の時代に、孤独な時間はすごく少なくなりましたね。
海でも山でも、電波の届かない場所はごく限られるようになりました。
KON-chanが見つけるものは、何でしょう。
私は山には行きませんが、見つけるというよりは、息ができるようになる感じ。
若い頃は、楽しいだけ面白いだけだったんですけどねえ。
ソロの海もいいですが、私は沖で声が聞けると嬉しくなりますよ。
今週末、沖で声を聞けますかどうか。
投稿: めりー | 2020年10月15日 (木) 04:48
めりーさん、こんにちは
高峰、厳冬期、未踏ルートにのぞむのですから、必要なのは無茶を無茶と意識しない若い精神と若い肉体。
トップアルピニストの死は若い。
めりーさんのおっしゃる通り、今の時代に、孤独な時間はすごく少なくなりました。
まえがきに、こうあります。
男にとって〝幸福な死〟と〝不幸な死〟があるとすれば、山における死は明らかに前者に属する・・・
そして、こう書かれています。
孤独な時間は人間にとって不可欠なものだ。
本書の中ほどには、こうもあります。
今は欲望解放の時代だ。
物はいやというほどあふれているし、オモシロそうなことは、自分で見つけようとしなくても、向こうから飛びこんでくる。
・・・・・
しかし、何と不幸な時代なのだろう。苦しむことさえ、容易にできなくなってしまった。苦しむことに飢えなければならない。
・・・・・
山の苦行は、今、貴重である。
単車乗りのめりーさんなら分かるでしょう。
〝孤独〟という単語にからんで、本著者が単車乗りであることが書かれています。
関連して、ダグラス・グラマン事件という大きな汚職事件の贈賄側の主要人物の大手商社の幹部のことも。
その恰幅のいい白髪の人物が国会に証人喚問された時、手が震え宣誓書へ署名できない様子がTV中継されています。
その人物が、孤独な単車乗り。
今週末は、沖でめりーさんの声を聞けるでしょう。
きっと。
投稿: KON-chan | 2020年10月15日 (木) 08:17
こんにちは。
登山なんぞは、リタイアしてから始めました。
と言ってもスニーカーで登れる程度の山へですが。
静岡勤務時代に、富士山登山を何度も誘われましたが
酒でも飲んでた方が良いと断り続けて。
今、登っておけばよかったと反省しています。
室蘭岳に登っただけでも、新しい発見の数々。
来年もゆったりペースの室蘭岳登山です。
投稿: きーさん | 2020年10月15日 (木) 16:16
きーさん、こんにちは
富士山は稼がなくてはならない標高差は羊蹄山より少ないのに、普通は1泊2日で登って下りてきます。
山小屋がたくさんあって、水も食べ物も寝るところもあるので、ザックを軽くして登れます。
また、登山道はよく整備されているので、歩きやすいです。
でも、北海道からだと遠いですね。
急に寒くなってきました。
室蘭岳の紅葉も枯れ落ちてくる頃ですね。
私はそろそろ雪山の準備です。
投稿: KON-chan | 2020年10月15日 (木) 20:17