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2020年9月 5日 (土)

『精神科医は今日も、やりたい放題』を読む

著者は、内科医・漢方医。
毀誉褒貶の多いヒト。
というより、〝誉〟・〝褒〟は聞こえてこない。
聞こえてくるのは、〝毀〟・〝貶〟ばかりのヒト。

自身を、ヤクザ医師、キチガイ医師という。
『医者が教える、過激ながらも大切な話』が副題。

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こんな飯屋で読み始め。

気分が沈む、やる気がでないという状態。
それは誰にでも訪れる精神状態であり、〝病〟ではなく〝感覚〟。
しかし、精神科医は、それを〝うつ状態〟とは呼ばず、〝うつ病〟と診断する。
食欲がない。
それも誰にでも訪れる精神状態であり、〝病〟ではなく〝感覚〟。
しかし、精神科医は、それを〝食欲不振〟とは呼ばず、〝拒食症〟と診断する。

〝うつ〟が〝病〟なら、それは脳の疾患。
〝拒食〟が〝病〟なら、それも脳の疾患。
で、脳のどこのどのような疾患で、その原因は何なのかを言える者はいない。
精神病のすべては医学的、科学的には証明できない。

よって、精神〝病〟の診断は、精神科医の〝主観〟。

以上は、本著者の主張。

本夕、読了。

脳のどこのどのような疾患で、その原因は何なのかを言える者はいない。
だからと言って、〝病〟ではない、と断言していいものだろうか。
科学的な証明がない。
だからと言って、〝科学的な証明がない〟精神の不調の全てが、〝病〟ではない、と断言していいものだろうか。

今々現在は、〝分からない〟。
今々現在は、〝証明できない〟。
しかし、将来にわたって客観的な診断基準が見出だせないとは言えないだろう。
てな、私の言い方も証明なし(^^;

本著者なら、こう言うだろう。
あんた、そんな言い方は誰にでもできる。
あんたの言い分は、エビデンスのない、ただの主観。
と(^^;

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コメント

いまはどんな状態にも「病」と名をつけちゃう時代。
病名がつかないことに不安を感じて、医者にきちんと病名宣告をされると安心する人の、なんと多いことか。
健康であることよりも、病名のほうが欲しいのかしらと思うくらいです。
突き詰めて調べれば、うつは脳内物質の異常であったり、染色体の変異であったりすることが判ってきたとか聞いた気がします。

では、依存症はどうなのか。
それだって、精神の不調のような気がしますけど。
そんなこと言ったら、何一つの依存症も持たない人なんかいるんでしょうか?

どうも魚を虐待する依存症の人が大勢いるような気がしますが、
KON-chan号と我が艇に限っては、そんなことは無いはず。
表向きはともかく、浮かんでいることに依存するんだもの。
あ、やっぱり依存ですね。
これも脳内物質の欠落か過剰なのか、いつか明白になる時代がくるかも知れませんねー。

投稿: めりー | 2020年9月 6日 (日) 15:08

めりーさん、こんにちは

恋愛なんていうのも、かなり異常な精神状態、依存症かも。
私、いい年をして、いまだにこの依存症(^^;

サカナ釣りは、確かにかなりエキセントリックな精神のなせるワザ。
それを言うと、真っ赤になってああこう言い返されます(^^;

我が艇、もう少し釣果が上がれば、ボウズでも好釣果でも同じ気分で船から降りられるなんてことはないように思います。
まァ、貧果が常態化している今の状態が、私の精神の安定に大いに寄与しているように思います。

一言二言ならず、何度も与太話を交わしたヒト。
そのヒトが自ら死を選んだという経験を何度か持っています。
病気だったンだなァ、と思うようにしています。

投稿: KON-chan | 2020年9月 6日 (日) 16:35

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