『オノマトペ』を読む
擬音語とは、実際の音をまねた語のこと。
例えば、ワンワンとかピッポッパとか。
擬音語をオノマトペという。
擬態語とは、音以外の雰囲気を表現した語。
たとえばゆらゆらとかオッパッピーとか。
擬態語は擬態語で、オノマトペとは言わない。
本書の題名は『オノマトペ』。
副題は『擬音語・擬態語の世界』。
擬音語に限らず擬態語も扱っている。
著者は国語学の専門家。
本書内では、擬音語・擬態語両方ともオノマトペとして扱っている。
本記事も、それにならうことにする。
こんな喫茶店で、読み始め。
日本に残る最古の文書は、古事記(成立、712年)。
この古事記にすでにオノマトペが記されているという。
古事記は全て漢字で書き表されているが、その一部を現代人に分かりやすく書き下すと、
是(ここ)に、天つ神 諸(もろもろ)の命以(みこともち)て、伊耶那岐命(いざなきのみこと)・伊耶那美命(いざなみのみこと)の二柱(ふたはしら)の神に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塩こをろこをろに画(か)き鳴らして、引き上げし時に・・・・・・・・・・・・
このこをろは〝かわら〟のことで、こをろこをろでカラカラという音を表しているのだと。
映画『伊豆の踊子』は吉永小百合、山口百恵と私が知っているだけでも5人はヒロインを演じている。
『伊豆の踊子』の最重要シーンは、風呂場で踊り子が両手を上げて〝私〟に何かを言おうとするカット。
風呂場だから踊り子は素っ裸なのだが、演じているのは吉永小百合や山口百恵。
湯気をブラインドに使って、オケケはもちろん、チクビさえも見えそうで見えないように映される。
踊り子のその様子を見ている〝私〟を川端康成の原文に当たると、
若桐のやうに足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、深い息を吐いてから、ことことと笑つた。
このことことがオノマトペ。
こんな表現、我々には決してできない。
本夕、読了。
湯気の向こうに、若い頃の素っ裸の吉永小百合や山口百恵が見えたとしたら、オイラ、ノーベル賞作家のように、ことことと笑っていられるだろうか。
ムラムラとかウヒウヒとか、そんな下品なオノマトペが湧き上がるだけ・・・(^^;
竿先がグンッ
リールのドラグがジー
ハンドルをギーコギーコ
ラインがピンピンと糸鳴り
で、船上に取り込み、ヤッホー
てな、オノマトペ一杯の釣りをしてみたいなァ、っと(^^;
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