『中国戦線従軍記』を読む
254ページの前のほう4分の3、190ページは、陸軍士官学校を出たエリート軍人として中国北東域を転戦した著者の従軍記。
従軍は4年間。
それに続く65ページが、
終節 歴史家をめざす
付録 ある現代史家の回想
で、著者の歴史家としての活動の開始からの顛末が語られている。
この〝終節〟と〝付録〟のために、190ページの従軍記があると言ってもいいだろう。
'45(昭和20)年春に千葉県の部隊に転属となり、本土決戦要員として準備中に敗戦。
翌春、歴史を学ぶために大学へ。
初めは中世史を専攻していたが、現代史に専攻を替える。
こんな喫茶店で読み始め。
著者が体験した中国の戦場では、戦死者よりも、その何倍も戦病死者が多かったという。
地図さえ満足なものではなく、行軍中にないはずの山が現れる。
その山を越えないうちに次の山が見える。
野戦病院には何もない。
竹の炭を下痢止めにするほど。
兵站(ロジスティックス)を軽視して立案された作戦に組み込まれ、武器弾薬も食糧も補給されない戦場を行軍する。
村を焼き食料を奪い牛を奪って命をつなぐ行軍。
すぐ上で、〝兵站(ロジスティックス)を軽視して〟と書いた。
実際には、村を焼き食料を奪い牛を奪って命をつなぐ前提で作戦が立てられている。
副題は『歴史家の体験した戦場』。
違う。
『戦場を体験した歴史家』ではないかと、私は思う。
本夕、読了。
〝兵站無視〟とは、〝言うだけ言う〟こと。
その逆の立場が、〝言われっ放し〟。
よく聞くではないか、
「上の者は現場を知らずに、勝手なことを言う」
「立案者は現場も見ないで、机上だけで考える」
「立派な計画だ。だが、現実を知っている者の計画ではない」
と。
著者の歴史観は、帝国陸軍々人として、中国を〝言われっ放し〟に転戦した経験からくるもの。
〝歴史〟とは〝記録〟ではなかろう。
〝現場〟の〝データ〟を〝歴史〟とは言わないだろう。
〝記録〟・〝データ〟を〝歴史観〟によって組み上げたものが〝歴史〟だろう。
彼が〝言うだけ言う〟立場を経験していたら、全く違う歴史家になっていたのは間違いない。
歴史観とは、極めて個人的な〝観〟のようだ。
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