『ぐうたら旅日記』を読む
著者は札幌在住の作家。
副題は『恐山・知床をゆく』だが、
恐山に2回、春と秋
知床に1回、夏
積丹に3回、いずれも夏
1泊2日から3泊4日。
移動は車。
恐山旅行の時は、苫小牧からのフェリーも使って。
筆休めというか、埋め草のつもりなのか、旅行とは関係のないショートストーリーが5編挿入されている。
こんな飯屋で読み始め。
総勢3名の時もあれば4名の時も16名の時もある。
オトコ1人にオンナ2人とか、オトコ3人にオンナ13人といったオンナ比率の高い人数での旅行。
年代内訳は、20代ごく少数、30代が何人か、大半が40代。
著者自身は40代、オンナ。
帯に、
〝あまりに笑えて涙腺崩壊!?〟
とある。
が、私が言っては失礼・不遜だが、〝涙腺崩壊〟などしない。
直近、東海林さだおの文章を読んだばかり。
東海林さだおと比べてはかわいそうってものだが、比べなくとも、〝あまりに笑え〟たりしない(^^;
著者自身が旅程を組んだり宿を手配したりすることはなく、誰かの運転する車で移動するだけ。
で、食べたり飲んだり。
旅先での食べたり飲んだりは、誰にとっても話のネタの定番。
しかし、これでヒトを笑わせるのは大変に難しいこと。
その難ネタで、著者が笑いを取るのに難儀している姿が見える(ような気がする)。
そのことが笑える(^^;
本夕、読了。
題に〝ぐうたら〟とある通り、アナタ任せの〝ぐうたら旅〟。
それは、しかし、著者の本の上での演技(だと思う)。
〝ぐうたらブリッ子〟を演じているだけ(だと思う)。
旅先の風景・会話・就寝時刻・起床時刻など、よく覚えている。
著者の実体は、几帳面・きれい好き・しっかり者(のはず)。
コメント
この作家さんは1冊だけ読んだことがあります(それもエッセイでした)
まあ、読みやすいのは確かですけど、
読みやすい、イコール面白いわけじゃないし。
帯の文字に釣られてはいけないって、KON-chanもよおくご存知ですよねー(笑)
何が面白くて何に惹かれて、先に進みたくなるのかは、人それぞれ。
週末、買い置きしてあった本を読み始めたのですが、ちっとも面白くなくって、たぶん途中放棄します。
(過去にも何冊も放り出したものあり)
「好きな作家」は数人いますが、「作家」ではなく「作品」が好きな場合もあるし。
1番好きだと言える作家さんが6年も前に亡くなっていて、それを知ったのが最近だったりするくらい、私はズボラ。
ええ、釣り道具の整頓もろくにできない私に比べたら、「ぐうたら旅」の作家さんは、よっぽどきちんとしているんだろうなーーとか。
ああ、つまり。
帯に釣られてはいけませんって言いたかったの。
投稿: めりー | 2020年3月11日 (水) 08:17
めりーさん、こんにちは
備忘録パス、了解です。
上下のネコ、ネガ変換ですか。
肌色は、肌色のままだし、変換領域を定めるにも複雑な形だし。
めりーさん、何でもできるヒトだから、何かワザを使ったのかと。
私はカナヅチの柄のほう、沈みません。
落水したら、溺死ではなく低体温症で昇天。
絶命までしばらくかかりそうです(^^;
さて。
帯に釣られてはいけませんね。
紀伊國屋もジュンク堂も三省堂も、文庫や新書は出版社ごとに、単行本は日本十進分類法に従って本を並べています。
ジュンク堂は更に工夫していて、産業-水産業の棚にブルーバックスの『魚の行動習性を利用する釣り入門』なんて本も置いたりしています。
ブルーバックスのコーナーにも置いてあるのに加えてです。
本の背の高さが揃った紀伊國屋や三省堂の書架はキレイですが、本を探すならジュンク堂の本の並べ方ですね。
文庫本のコーナーに『ぐうたら旅日記』が置いてあるのに加えて、地理の書架にもこの『ぐうたら旅日記』が置いてあったりするわけです。
で、ハードカバーの背の高い本に挟まれて置かれていた『ぐうたら旅日記』が私の手に取られ、で、まんまと帯に釣られたという次第(^^;
ジュンク堂の担当者、よく働いてます。
> 読みやすい、イコール面白いわけじゃないし。
御意。
私も読み通せないでいる本があります。
一度 中断しちゃうと、もうダメですね。
読書は義務でも美徳でもありません。
本を読むよりも、釣りの仕掛けを作ったり、筋トレしたりする方が、ずっと健康的な時間の使い方だと思います。
何でも出会いです。
放り出す本もあれば、二度読み・三度読みしたくなる本にも出会えるでしょう、って気分。
いやァ、ご謙遜を。
めりーさんはズボラなんかじゃありませんね。
頭の使い方が健康的だし、動きが軽やかです。
でも、ズボラな生き方も、決して悪くはないような。
手を抜く・無計画・気まぐれ・見ない・聞かない・考えない時間がないと、それはとても苦しい日々かと。
投稿: KON-chan | 2020年3月11日 (水) 18:21
ネコあれは、順光と逆光の違いですね。
本来は黒い紙から切るのですが、白い紙でやる人もいて、私も100均の画用紙で練習してみました。
知らなかったんですが画用紙って崩れるんですねえ、昨日、羊皮紙を買ってきました。
A4で1枚40円ですよ!!紙もいろいろあるので、好みの物が見つかればそれを使えばいいんですが。
うちから行きやすい場所に文教堂があり、そこは本は勿論ですが文具が多くて気に入っています。(さすがに紙は無くコーチャンフォーまで行きます)
建物が古いし閉店したらイヤだなーと思っていますが、週末は結構混んでいます。
本もネットで買うのが楽ですが、やっぱり棚を見て選びたいなあって思いますよね。
KON-chanは以前から読書は無駄みたいなこと言いますけど、読書って人の形成に影響のある行為だと思います。
子供の頃にしっかり本を読まない人は、自分の言語でレポートが書けないんだなーって思える人が沢山います(皆がみんなではありませんが)
自分の言語を持っているって、私は素敵だと思うし、そういう人ってやっぱり魅力があります。
今は書籍ではなくても、ネットでもいろんな人の文章を読むこともできて、それはそれでいいのだろうと思います。
しかし、だんだんズボラ度が増してきて、脳みそが動いていない→動きが鈍くなってきたなあと実感します。
釣りも、大した考えないでやってるもんだから釣果が増えません。
紙をただ切り刻むだけでも、考えながらやらないと何のメリットもありませんねえ。
投稿: めりー | 2020年3月12日 (木) 04:43
指が透けて見えるから、色の違う紙を2枚重ねで切ったのかもとも思っていました。
黒いのが薄い紙。
順光と逆光で狙い通りの表現ができるのですね。
ヒトは言葉で考える。
だから、自分の持っている言葉の範囲内でしか考えられない。
とは、よく聞く話。
そんな気もするけれど、私はかなり懐疑的。
喜びとか後悔とか好意とか嫌悪とかは、言葉ではないだろうと。
それは、考えではなく感情だと言ってしまえばそれはそうなのですが。
カリカリ、ビンビンの連続では肩がこります。
適度にズボラがいいのでは。
いやいや全部ズボラでもいいのでは(^o^)
投稿: KON-chan | 2020年3月12日 (木) 08:15