『山棲みの記憶』を読む
ネパール語で〝ゆっくり〟は〝ビスターリ〟。
それを本の名に持つ「ビスターリ」は、山と渓谷社から発刊の季刊誌。
しかし、'89年に夏号を創刊、'95年に27号目となる冬号を発刊以降は休刊が続いている。
本書中の多くが、この「ビスターリ」に掲載されたもの。
こんな飯屋で読み始め。
著者の生まれが'47年だから、40代の頃の文章。
弘前市で生まれ育ち、東京の大学の山岳部で鍛えた著者は、ヒマラヤ未踏峰を6座初登頂の記録を持つ力のある登山家。
その彼が、ふる里東北の白神の山々を歩いて感じ・考えた記述。
今から四半世紀ほど前、白神山地が世界遺産に登録される前後のことだ。
ブナが育ち、ワラビ・タケノコ・キノコが生え、クマ・ウサギが棲み、ヤマメ・アユ・イワナが泳ぐ豊かだった東北の山々、川々。
その地で、竹カゴを編み、炭を焼き、キノコを採り、クマを撃ち、ウサギを狩り、ヤマメを釣り、アユを掛け、沢水を引く。
それで生活してゆく。
そんな生活が、思い出話に変わっていく。
副題が、『ブナの森の恵みと山里の暮らし』。
書かれているのは、山を歩く話ではない。
山で生きるヒトの話。
題名通り、〝記憶〟。
その〝記憶〟の生活をしてきた〝山棲みビト〟はすでにいない。
本夕、読了。
JR五能線は、秋田県の東能代駅から、南津軽郡の川部駅へと左手に日本海、右手に白神山地・岩木山を見て下る路線。
この線を、私が青森側から秋田側へ、及び秋田側から青森側へと上下とも完乗したのが2013年の正月休み。
ダイヤが乱れに乱れ、臨時停車、駅着遅れ・駅発遅れが続く、山を見ることが全くかなわない吹雪の日だった。
本書で書かれているヒトたちの生活の場は、この五能線が囲む内側にある。
自然から採ったもので暮らし、出稼ぎ先が北海道という地区もあるくらい。
自然だけはある。
自然しかない。
雪深い山里だ。
力のある登山家の眼が見る山に棲む人々。
同情もない。
郷愁もない。
山棲みビトがふるまってくれる山菜もウサギも食うが、ウマイとも言わない。
〝何も好き好んで〟の地。
『山棲みの記憶』にあるヒトたちは、そこに〝好き好んで〟暮らす。
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