『資本論』を読む
『資本論』は3部で構成されている。
マルクスが生前刊行できたのは、3部中の1部まで。
マルクス死後、エンゲルスが遺稿を整理・編集して全巻の刊行を遂げている。
全巻刊行までに、足掛け30年近く。
大変な大著で、岩波文庫の邦訳版だと全9冊。
総ページ数、3700余。
こんな飯屋で読み始め。
ンな大著を私に読めるはずがなく、手にしたのは『講談社まんが学術文庫』判。
220ページ。
舞台は、蒸気機関が稼動する産業革命下の英国の農業の町。
時代は19世紀後半。
主要人物は、優秀なパン職人、大地主貴族の娘、貧乏貴族のせがれ。
彼らの三角関係が悲劇に終わる推移を通して、経済学の術語の説明がされる。
〝交換〟とは
〝剰余価値〟とは
〝相対的剰余価値〟とは
〝会社〟とは
本夕、読了。
社会科学とは、
分析範囲にきりのない学問
実験・検証が困難な学問
再現性による実証が困難な学問
過去・現在が必ずしも未来につながらない学問
正解のない学問。
どんなに理論立てをしても、賛同もあれば批判もある。
修正もあれば、補足もあれば、削除もある。
アタマのいいヒト達によって、経済政策が立案され遂行される。
結果でしか評価されない世界。
釣りバカの思うところは以下。
結果でしか評価されない世界なのは、釣りも同じ(^^;
コメント
おはようございます。
マンガで書いてくれると、アタマのあまり宜しくない私にも判りやすそうです。
ただ、正解の無い学問ってどうにも違和感満載。
物事にはいろんな方面からの見方もあり、それが多様性で多角的。
それを一方からしか見えないのは、ちょっと浅はかだと思うのです。
正解が無いのは当然であって、じゃあ何でそれが学問として成り立つのか。
私なんかには、理解不能です。
アタマのいい人たちの、格好の暇つぶしなのかなと思っちゃいます。
釣果でしか評価がされないのは、確かですね。
釣果よりもその過程を楽しむ人たちは、では評価されなくても雑草根性で行けということでしょうか?
釣りだって多角的。
雑草でも、いいもんね。
投稿: めりー | 2019年12月10日 (火) 04:22
めりーさん、こんにちは
こんな記事にコメントをいただき、どうもありがとうございます。
3700ページを超える原著を220ページのマンガにするのですから、マンガの原作者は原著を理解できているのでしょうね。
めりーさんの、おっしゃるその通り。
見方・立ち位置・視線は多様で多角的。
なので、社会科学においては、どんな研究成果・理屈を持ち出してきても、完全に他者を説得すること、納得させることができません。
実験が大変に困難だし、仮に実験できたとしても、では、他の見方・立ち位置・視線ではとなるとキリがありません。
再現性もはなはだ心もとないですし。
だから、歴史〝観〟とか、なんとか〝主義〟とか、かんとか〝学派〟とか〝党〟とか〝団〟という、色んな見方・立ち位置・視線の上に立った理屈の構築が林立するのでしょう。
〝信じ〟させることはできますが。
アタマのいい人たちは、それはそれでアブラ汗をタラタラ流し、ほんの一瞬のヒマもないくらい考えているのだと思います。
私なんかは、〝釣ってりゃ楽しい。 釣れりゃァなお楽しい〟ですから、過程でも釣果でも同量の楽しみを得られています。
バカゆえかも(^^;
> 雑草でも、いいもんね。
アハ、私もです(^o^)
雑草でも、いいもんね。
投稿: KON-chan | 2019年12月10日 (火) 08:12
こんばんは。
難しすぎる・・・( ;∀;)。
物事簡単主義の私には難しすぎる。
本屋さんで手に取る事も無い分野だ。
この下にひらめがいるかも知れないとかの
〝かも知れない〟レベルならば
私的なのだが。難しい。
ただ漫画でとなれば私でもと・・・( ^^) _U~~。
投稿: きーさん | 2019年12月10日 (火) 21:06
きーさん、こんにちは
『資本論』に一生を捧げる研究者がいます。
経済学を専攻する学生は、経済史とか政治経済学とかという授業で、深い浅いは別として『資本論』の講義を受けているのではないかと思います。
原著は、難しいのだと思います。
私も面倒・複雑は嫌い。
選択するのは、簡単・単純。
私も、マンガでなきゃ、『資本論』を手にすることはなかったでしょう。
私の理解は、このマンガの範囲内で終わりです(^^;
このマンガの範囲なら、1ページも難しいところはありませんね。
投稿: KON-chan | 2019年12月10日 (火) 22:13