『全国マン・チン分布考』を読む
秋分の日。
雨、風強い。
沖に出られないのはモチロン、山に入るのも無茶を越えて無謀というほどの風雨。
こんな休日は、お茶を飲みながら読書がふさわしい。
京都は古い都。
文化はそこで生まれ、京を中心に同心円を描くように遠隔の地に伝わる。
言葉も文化。
京で使われなくなった言葉が、東北や九州で聞かれるということがある。
〝マン〟とは、
ダンベ
アンぺ
ホト
マンジュー
オマンコ
等々、50ばかりの女陰を表現する語のこと。
〝チン〟とは、
チンポ
チンチン
カモ
マラ
ムスコ
等々、50ばかりの男根を表現する語のこと。
これらの言葉の使われている地点が、日本地図上にプロットされる。
プロット数はそれぞれ1000はあるだろう。
その分布が、京都を中心に見事に同心円を描く。
こんな飯屋で読み始め。
マン・チンなど、学問にならない。
書籍を求め、データ採取・整理のためにアルバイト学生を使う。
それに私費を3000万円投入。
言語学者や民俗学者に協力者があらわれる。
学問にならないはずのマン・チンが、学問の高みにまで上がっていく。
本夕、読了。
〝マン〟は、古く平安の京の朝廷勤めの女房の言葉。
饅頭(まんじゅう)のことを〝おまん〟と言っていた。
今でも、京都の老舗菓子屋のノレンには、〝おまん〟と書いてある。
生粋の京都女性は、だから、菓子屋で「〝おまん〟二つ」とか言って買う。
チンを表す〝まら〟。
広辞苑では、
まら【魔羅・摩羅・末羅】(梵語mara)
①仏道修行を妨げ、・・・
②(もと僧の隠語)陰茎。・・・
とあり、他の辞書も大同小異。
これに対し著者は、古文書、漢書に深く分け入り異を唱える。
著者は朝日放送のプロデューサーを務め、定年退職したヒト。
民放の娯楽番組を手掛けていたヒトだが、娯楽番組だからといって、放送された面だけで評価しては企画・制作者に気の毒。
非常に深い考察がある。
本書も自分の手掛けていた番組へとどいた一通の手紙が研究のスタート。
本となるまでに、23年を要している。
マン・チンは見えない見せない。
隠れている隠している。
著者の本書をまとめるにあたっての力の入れようが、健康的、爽快。
コメント