『アメリカはいかに日本を占領したか』を読む
東京湾上に錨泊する戦艦ミズーリの甲板上で行われたのは、帝国の連合国への降伏文書調印。
調印式は9時から始まり、30分かからずに終わっている。
1945(昭和20)年9月2日のこと。(注1)
この日は、日曜日だった。
その降伏文書調印式直後、帝国はGHQから、(注2)
〝英語を日本の公用語とする。 その施行は、24時間後の翌3日月曜日午前10時から〟
との布告文書を渡されている。
しかし、これは、結局 施行されなかった。
その24時間の経緯は大変に興味深く、かつ この公布は施行されるべきではなかったのかという愚見を、拙ブログの 『日本人の英語力』を読む という記事に私は書いた。
JAL B777‐200機内で読み始め。
対日戦勝を確信している連合国、とりわけ米国は終戦後の東西対立も早くから予想し、開戦前から日本語学校を開設して日本占領政策の準備を進めていた。
GHQによる占領政策期間は'52(昭和27)年までの7年間で終わったが、占領プログラムの立案当初は、その期間を20年と見込んでいたらしい。
ダグラス・マッカーサーが連合国軍最高司令官として厚木に降り立ったのは、降伏調印式の3日前、8月30日。
その日以降、トルーマン大統領に その職を解かれるまでの6年間、日本の最高権力者として神権とも言えるほどの権力を行使する権利が彼に与えられている。
副題が、「マッカーサーと日本人」。
マッカーサーは、駐日米国大使館の駐在武官の父親の副官として、戦前、東京勤務経験のあるヒト。
また、フィリピンでは帝国軍の攻撃を受け捕虜になる寸前まで追い詰められた経験を持つヒト。
従って、日本の国状・日本人の心情をよく知る。
天皇の扱いについて連合国内で深い議論がされ、帝国降伏の1年半も前に米国国務省内では天皇制の維持が必要との結論を固めている。
マッカーサー自身が得た結論も同じで、天皇の権能を使い、日本をコントロールしていく。
本書で語られるのは、天皇の上をいく権威を持ったマッカーサーについて。
本夕、読了。
厚木に着陸したDC‐54Bの乗降口の前で、レイバンのサングラスをかけ、コーンパイプをくわえて あたりを見渡す。
モーニング着用の身長の低い天皇を左に立たせ、長身にノーネクタイの略式軍服で両手を後ろに回して立つ。
帝国軍の攻撃から やっと脱出したフィリピンへ、海水にズボンを濡らして再上陸し、〝I shall return.〟を果たす。
これらの彼の晴れ舞台の写真は誰でも知っている。
そして誰でも言うだろう、『いよォッ、千両役者』と。
たった今の日本の良いも悪いも その全てが、その千両役者と掛け声をかけられることを意識していたマッカーサーの下書きによるもの。
ただ、本書には、〝英語を日本の公用語とする〟ことをマッカーサーが取り消したことについては書かれていない。
(注1)
日本では8月15日を終戦記念日とする。
一部の国を除いて、連合諸国での対日戦勝記念日(VJ-Day)は降伏調印式の9月2日。
(注2)
GHQとは連合国軍最高司令官総司令部。
日本では〝進駐軍〟と呼称することが多いが、要するに〝占領軍〟。
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