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2019年4月18日 (木)

『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版』を読む

徳川御三家は、尾張・紀州・水戸。

そのひとつ、紀州和歌山藩の俸禄25石の藩士の酒井伴四郎が、江戸の紀州徳川屋敷(現在の赤坂)での勤務に赴任する。(注1)
国元に妻と一人娘を残し、今で言うところの単身赴任。

桜田門外の変の年(1860年)、伴四郎、28歳のときのこと。
徳川幕府の治世が間もなく終わる頃だ。

伴四郎の残した日記が今に残り、それをもとに江戸勤めの武士の生活が語られる。

Photo_3 こんな喫茶店で読み始め。

伴四郎の職務は、衣紋方(えもんかた:着付け及びその指南役)。

やることは、藩主・家老らに特別な装いが必要な時の、その着付け。(注2)
また、将軍の小姓(身の回りの世話をする者)らや三井などの商家への着付け教授。

これは、随分とヒマな仕事だったようで、多く働くときで月の半分いかない。
大体は7日から9日。
1ヶ月間丸々働かない月もある。
また、役得もあったようで、商家への指南のあとは酒付きの食事で もてなされたりもしている。

時間があったせいだろう。
日記は こと細かい。
赴任(出張)時の経費の精算やら浅草見物やら両国見物やら寄席見物やら芝居見物やら江戸城への大名の登城行列見物やら。
〝食日記〟とあるように、食べたもの、飲んだものの記録も詳細。
また、〝小遣帳〟と称する家計簿の記載も詳細で、当時の物流とモノの経済価値が分かる。

江戸は外食産業の発達した大都市。
ソバ屋だけでも3400店近くあったようで、この数は現在の東京よりも多い。

今の東京もそうだが、江戸には全てのモノ、技術、技能、知識が集まっている。

ソバは信州で食うに限るとか、タイは明石が一番などと地産地消の食を称える風潮があるが、ソバも天ぷらもウナギも寿司もボタモチも江戸・東京が第一級。

時に江戸の祭りの賑やかさに遊び、時にドジョウ鍋で酒を呑む。
そして、時に国元の妻娘を思う。

江戸勤務番の単身赴任武士も、今の単身赴任サラリーマンも変わるところはない。

本夕、読了。

本著者は、創業500年近い菓子舗の虎屋が運営する和菓子資料室で、研究職に就いていた歴史の専門家。
大きな商いをしている虎屋とはいえ、菓子屋が専属の研究者をつけた資料室を運営しているというのは、老舗ゆえの余裕というかプライドだろう。

江差町の五勝手屋本舗も創業150年になる老舗。
ここの2階はイートインスペースだが、五勝手屋の歴史をうかがうことのできる古い菓子型などが展示されている。
やはり老舗のプライドを感じる空間であった。

ところで、伴四郎は武士。
それも御三家 紀州徳川の家臣。
なので、1866年、倒幕・尊王攘夷をいう長州を制圧するために戦場に立っている。(第二次長州戦争)

翌年、大政奉還。

士農工商で保障された武士の身分を失った伴四郎は、明治も生きたようだが、何を食い、何を思って生活していたのか。
日記は残っていないという。

(注1)
将軍の出る儀式に参列できる資格を持つ者は大名・旗本。

大名・旗本は〝お殿様〟。
それより下級の武士が御家人。
その中の最下級武士が、〝三一侍(サンピンざむらい)〟。
俸禄が〝三両一人扶持(さんりょう いちにん ぶち)〟で、コメに換算すると5石に届かない。

江戸幕府における御家人の平均禄高は30石(1石は10斗、100升)くらいだったようだ。

江戸勤めの伴四郎には、国元で与えられる25石のほかに、江戸赴任手当として年に39両と、量は不明だがコメの現物支給を受けている。
全部合わせると実質50から60石相当。
このほかに、下の(注2)で書いたような手当てもある。

禄高100石程度の旗本もいたようなので、禄高25石なら武士としては下級は下級だが、悪い待遇ではない。
紀州の家に帰れば「との」と呼ばれていた身分だったことと思う。

(注2)
烏帽子(えぼし)、長袴(ながばかま)の高位武士の正装は、それをまとう当人自ら一人では とても着ることができなかったようだ。
本書中には、正装が必要となる前日までに、一度 全てを身に着けて装いを確認したことが書かれている。
家老邸への出張着付けでは、その出張手当てが6両ちょっとだったとあり、着付け1回で最下級武士の2年分の報酬を得ている。

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コメント

こんばんわ。
中々余裕のある暮らしではなかったようです。
旗本ともなれば、使用人も3人はいるでしようし、
出費は厳しかったようですね。
カツカツ以下の生活でしょう。
わたしもカツカツの生活ですが
何とか船は維持しております(笑)。


投稿: キーさん | 2019年4月18日 (木) 21:18

キーさん 、こんにちは

江戸にも従者を一人連れてきています。

武士ですから、体面は大事。
4日ごとに髪結に通うなどの経費も発生するのですが、今の世のように何でもある時代ではないので、オンナ遊びとバクチに手を出さねば、武士の生活は成り立ったようです。

この人、三味線ひきだったようで、江戸勤めの間も三味線と常磐津節の稽古をしています。

武士ですから、兵士。
長州戦争に送られるのを避けるために、若くして隠居する者もいたようですが、彼は戦場に出ています。
て、自分の近くで戦死する者を見たりもしています。

江戸と今の世、どちらで暮らすのが幸せなのか分かりませんが、確かに今の世でなければ釣りをするためだけに船を持つなんてことはできませんね。

投稿: KON-chan | 2019年4月19日 (金) 00:53

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