『旅に出る日』を読む
月刊誌『旅』の創刊は1924年。
『旅』は、2012年に休刊となるのだが、最後の約4年 私は定期購読者だった。
その『旅』の、1959年から1971年まで編集長を務めていたのが本著者。
私が定期購読していた期間の40年も前の編集長ということになる。
三泊四日とか四泊五日程度の旅行を、〝たび〟・〝旅〟と抵抗なく発音したり書いたりできるヒトは幸せ者だ。
大方のヒトにとっては、その程度の旅程を〝たび〟・〝旅〟と発音したり書いたりすることは大変にカッコの悪い、照れくさい感情を抱かせることだろう。
こんな喫茶店で読み始め。
〝旅〟にまつわるエッセイ。
本書は、著者が『旅』の編集に関わっていた時代に書いたものの復刻版。
『旅』の発行は日本交通公社(JTB)による。
だから、本書が書かれた頃の著者は交通公社職員。
フレームリュックを背負って改札口を通る
日焼けでピリピリ痛む太モモに水をかけながら、前後にパニアバックを付けた自転車のペダルを漕ぐ
リアシートに積んだ荷物のカバーネットに小さなペナントをさした125CCのバイクで、街道を走る
なんてことが、私にもあった。
本書には、私にもあった 交通公社の儲けにならないような〝旅〟のエッセイは載せられていない。
もっと大人で、もっと静かで、もっとお洒落で、そしてもっと思索的な〝旅〟の話。
半世紀も前に書かれたものだから、著者の〝旅〟に対する感覚や考えには古典的な行儀の良さを感じる。
ヒトのこと、ああこう言わんといて、という気にもさせる。
と 感じ、という気にさせられて、それでも最終ページまで読んだ。
でも、著者の言うような〝旅〟には共感したくない自分がいる・・・(^^;
本夕、読了。
今月末から、10連休を取得するヒトも多いだろう。
で、「混むのよねェ」とか、「ヒトの多いところはイヤ」とか、「GW期間は なんでも高いンだよなァ」と言いつつ、混む道路を走り、ヒトの多いところに出かけ、ハイシーズン価格の宿に泊まっては、「混んでるねェ」とか「ヒトが多くてイヤだねェ」とか「なんでも高いなァ」と言うヒトが多いに違いない。
誰に頼まれて〝旅〟に出るのではない。
混んでいるのがイヤなら、ヒトの多いのがイヤなら、なんでも高いのがイヤなら、家にいてだって楽しい時間を過ごす方法はいくらでもある。
であっても、道路が混んでいようが、ヒトが多かろうが、なんでも高かろうが、家から飛び出せッー!
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