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2019年3月 2日 (土)

『マンガと「戦争」』を読む

戦後日本のマンガは手塚治虫から。
その手塚マンガと対比させながら、手塚以降のマンガが語られる。

 

Comicwarこんな飯屋で読み始め。

著者の夏目房之介自身もマンガ家。
マンガ評論家でもある。

著者が対比のベースとするのは、手塚マンガのSF性、架空性。
また、手塚自身の戦争観、倫理観。

手塚マンガをベースとして話が進むので、本書の初めのほうは『サブマリン707』や『紫電改のタカ』など、50年以上も前に発表されたマンガが評論の対象となる。
が、それらを読んだことがないヒトでも、どころか手塚マンガを読んだことのないヒトでも、書かれていることを困難なく理解できるだろう。

著者の思考フローや話の進め方に強引さや複雑さや乱れはなく、読みにくさはない。

本夕、読了。

著者はこんな言葉を使う。

 ・何か
 ・誤解を恐れずに言えば
 ・単純化を恐れずに言えば
 ・いかにも
 ・戦後マンガが手塚以来抱えていた

これらはズルイ言葉。
真剣な話の中では、使ってほしくない。
著者は大いに〝照れ〟ているのだと思う。
〝照れ〟ずに こんな言葉を1冊に5つも使えない。

これらの言葉を使えば、
〝誤解を恐れず〟に、そして
〝単純化を恐れずに言えば〟、
〝いかにも〟現実に起こりそうな近未来世界を舞台にして、見事に
〝戦後マンガが手塚以来抱えていた〟
〝何か〟
から解放された
 ・手塚のSF性と対比した大友克洋のSF性
 ・手塚の架空性と対比した小沢さとるの架空性
 ・手塚の戦争観と対比した水木しげるの戦争観
 ・手塚の倫理観と対比した宮崎駿の倫理観
の評論を進めることは難しいことではない(^^;

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