『ミョ~な?疑問!』を読む
日本の学生は、教師に「それはなぜだ(Why?)」と質問するという。
米国の学生は、教師に「それは何だ(What?)」と質問するのだと。
日本と米国の両方の大学で教えた日本人が、そのことをテーマに書いた本を読んだことがある。
本書には、そんな面倒くさい話はない。
こんな喫茶店で読み始め。
副題が『バカバカしいけど、やけに気になる』。
〝やけに〟気になるというほどではない。
が、〝バカバカしい〟と投げ捨てていられるほど〝バカバカ〟しい〝疑問〟ばかりが書かれているわけでもない。
例えば、こんな疑問。
○真冬に温泉につかるサルがいる。
彼(女)らは湯冷めしないのか?
○〝私立探偵〟という職業がある。
ならば、〝公立探偵〟という職業はあるのか?
○警察犬。
彼(女)らはいつどこで用を足すのか?
○選挙。
誰も立候補しなければ、どうなるのか?
これらの疑問に対するアンサーは、ネットで簡単に拾える。
そうやってネット検索で答えを見つける作業よりも はるかに難しいのは、〝疑問〟そのものを持つことだろう。
〝疑問〟を持つことは、高度に知的な頭の使い方だ。
上記の例はだれもが抱く疑問。
本書内には、こんな程度ではない発想の奇抜さ・ユニークさが尖った「よくぞそんな〝疑問〟を持つに至ったものだ」と感じさせる〝疑問〟が たくさん載せられている。
〝答え〟は載せられているが、それを読む本ではない。
〝疑問〟を持つに至った頭の使い方を読む本だろう。
といっても、本書は読み捨て本。
本夕、読了。
反応が見えているのに、食わない。
ガツガツ食ってきていたのに、突然アタリが止まる。
かと思うと、まだ飲み終えることができず、口からベイトがあふれているのに、ジグに掛かってくるのもいる。
ここで、
「なぜなんだろう?(Why?)」
「なにが起こっているんだろう?(What?)」
と疑問を持てば、オイラ、知的な頭の使い方をしていることになり、そのあとの展開が広がる(ような気がする)。
が、オイラの頭の使い方は、
〝サカナにはサカナの事情がある〟で止まっている(^^;
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