『捕虜輸送船の悲劇』を読む
副題は、
『戦いが終わった後に訪れた過酷な運命』
だが、書かれているのは一部を除き太平洋戦争中のできごと。
1.帝国船で輸送中の、アメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・インド人捕虜(注)
2.英国船で輸送中の、ドイツ・イタリア人捕虜
3.帝国船で輸送中の、帝国将兵、インドネシア・フィリピン人徴用作業員
4.米国船で輸送中の、米国将兵
に降りかかる災難の話。
3.、4.は捕虜の話ではない。
こんな飯屋で読み始め。
1.及び2.は、敵国船を攻撃したつもりでいたら、実は自国及び友好国人捕虜が多数乗船していた記録。
3.は、帝国兵士を乗せて南洋の戦場の島へ向かう輸送船が、米潜水艦に次から次へと沈められた記録。
1隻の米国潜水艦に、数時間のうちに2隻の大型輸送船を沈められ、それだけで1万人を超える大部隊が海にのまれた記録もある。
4.は、兵士を乗せて戦場へ向かう米国輸送船が、連絡不足から自国軍が仕掛けた機雷に触れて被害を受けた記録。
情報の共有の重要さと、一方では情報の漏洩も考えねばならぬ。
もう存命者も少ないだろうから仕方がないのだが、当事者への取材はなく、ネタは全て文献から。
その文献にも大した情報がないのだろう、各トピックスの内容は薄い。
各トピックスのネットでの日本語検索結果も似たりよったり。
ただし、この検索を英文にまで広げると、本書の厚みを何十倍にもする情報が得られる。
捕虜の多くが英語を母国語とし、同じ船に三ヶ国・四ヶ国の捕虜が乗船していることが多い。
だから、同じ出来事であっても、英語情報は三ヶ国からも四ヶ国からも発信されている。
私にはできないが、オランダ語でも検索したらもっと情報は増えるはず。
もっともネットからの情報は、玉石混交と言えるほども評価できず、〝石〟ばかりだが。
歴史に限らず、たった今の事柄に対しても、母語(理解できる言葉)が我々の考えの及ぶ範囲の上限なのだという当たり前のことが本書には あからさまに見える。
本夕、読了。
フォークランド紛争(英-アルゼンチン紛争:1982年)の際、英国海軍はクルーズ客船のクイーン エリザベス2を徴用、乗員・乗客2800人の船の塗装を戦時色に換え、3500人ほどの兵士を乗せる輸送船に仕立てている。
2800人の船に3500人だから、それほど不愉快な船旅ではなかったろう。
行き先は、戦場だが。
(注)
帝国のインド人への待遇は複雑。
当時のインドは英国の属領だから、インド軍人は英国軍人。
しかし、インドは英国からの独立を目指す気運が高く、英国を敵国とするインド義勇軍も組織されていた。
帝国の捕虜となったのちにインド義勇軍に転属を希望するインド人も多く、それらの者は捕虜としての境遇から友軍人待遇へとされている。
コメント
こんばんわ
いやーその本読んでみたい。
明日探しに行って来ます。
投稿: きーさん | 2018年11月 8日 (木) 20:33
きーさん、こんにちは
夕方から、荒れてきました。
このあと2、3日は荒れ模様。
夜も長いし、読書ですね。
この本、船の構造図や地図が載せられていて、イメージをつかみやすいです。
潜水艦からの攻撃を避けるために輸送船は浅いところに航路をとるのですが、目的地に向かうためには浅いところばかりの航海というわけにはいきません。
待ち伏せされて沈められます。
地図を見ていると、どこで待ち伏せしたらいいか私でも分かります。
全員分とはいかなかったようですが、捕虜にも竹製の救命胴衣は用意されていたようです。
投稿: KON-chan | 2018年11月 8日 (木) 23:25