『沖縄 若夏の記憶』を読む
1972年まで、沖縄の施政の実権は〝琉球列島米国民政府〟にあった。
義務教育課程の学習指導要領と教科書は本土と同じだったが、通貨はドル、車は右側走行、郵便は琉球郵便、切手の金額表示は¢(セント)。
沖縄から本土に入るには、この米国民政府が発給する渡航証明書(パスポートに相当)を必要とした。
日本本土から沖縄に渡るのは 日本からハワイに渡るよりも難しく、
日本国(総理府)発給の身分証明書(パスポートに相当)
米国民政府発給の入域許可証(入国査証:ビザに相当)
沖縄での身元引受人
が必要だった。
こんな喫茶店で読み始め。
著者は'44年生まれの、現役フォトジャーナリスト。
沖縄に身元引受人を持たない著者が沖縄に渡るには、'72年の沖縄本土復帰まで待たねばならなかった。
沖縄の織物・花・チョウ・フェンス・石に彫られた文字・ヒトの背中・海岸・畑などの写真が、4、5ページに一葉の割合で挿入されている。
〝眼〟で食っているヒトだけあって、言葉を折りたたむように使っての〝光〟や〝色〟の表現が印象的。
表紙カバーは、遠浅のサンゴ砂の浜に寄せる軽くて透明な青い波。
私が本書を購入したのは、この表紙カバーの軽さ・透明さ・青さゆえ。
しかし、本書中に書かれている一行、一行は、軽くも、透明でも、青くもない。
上で、著者のことを 『〝眼〟で食っているヒト』 と書いた。
通りすがりの旅行者でも、本書の内容程度のことは見ることができる。
沖縄に行ったことのない者でも、本書の内容程度のことは知っている。
が、やはり 『〝眼〟で食っているヒト』 だ。
知るために見る〝眼〟を持っているヒト。
知っているから見える〝眼〟も持っているヒトだ。
題名にある〝若夏:わかなつ〟とは、沖縄地方の5月から6月くらいのこと。
〝若夏〟という字面(じづら)、〝わかなつ〟という音の響きとは裏腹に、沖縄地方では梅雨の候。
本夕、読了。
沖縄の交通ルールが、
『人は左・車は右』
から、
『人は右・車は左』
に変わったのは'78年。
その翌年の'79年、私は、初めて沖縄(八重山)の日射を浴びている。
大阪南港から那覇港と平良(ひらら:宮古島)港を経由して、以後の旅行の起点となる石垣港までをフェリーで。
そこまでの航海だけで2泊3日。
何という贅沢な時間の使い方の旅だったろう(^o^)
その後、何度か渡島する機会があり、積算すると100日以上、私は沖縄の太陽に焼かれている。
1日なら1日分の
10日なら10日分の
100日なら100日分の
1000日なら1000日分の
記憶を与えてくれるのが沖縄だ。
が、知るために見る〝眼〟を持たず、
知っているから見える〝眼〟も持たない私。
私の〝沖縄の記憶〟は、軽さ、透明さ、青さのみ・・・
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