『山と雪の日記』を読む
本年4月30日に弊ブログの記事にした『北の山』は、日本山岳会が創立70周年を記念して出版した『復刻 日本の山岳名著』の中の一冊。
本書も、『北の山』と同じく『復刻 日本の山岳名著』中の一冊。
著者は、板倉勝宜(いたくら かつのぶ)。
趣味登山の、日本における黎明期のヒト。
登山に、スキー・ピッケル・ザイルを用いた日本における最初の人達のひとりと目され、冬の旭岳の初登頂はこのヒトによる。
こんなテラス席のある喫茶店で、読み始め。
復刻版ゆえ、装丁も当時のまま。
原本の発行は1930(昭和5)年で、当時の販価は2円。
発行部数は500。
『北の山』もそうだったが、本書も いわゆるフランス綴じ。
ペーパーナイフを持って読み進んでいく。
前書きに相当する部分に、槇有恒が〝追憶〟を、松方三郎が編集者の一人としての立場で〝この本の由来について〟を書いている。
〝この本の由来について〟に、
「板倉が生きてゐたならばこんな本は出なかつたに相違ない。」
とある。
板倉勝宜の生涯は短い。
1897(明治30)年生
1923(大正12)年没
享年27。
その死は、冬の雄山(おやま:3003メートル・北アルプス立山連峰)での遭難による。(注)
本書は板倉勝宜の遺稿を時系列順にまとめたもの。
交通網が整備され、除雪体制が整い、山に取り付くまでの苦労は小さくなった。
しかし、ひとたび山に入れば、
1923年の山の傾斜も、2018年の山の傾斜も変わらない。
1923年の山に射る陽光も、2018年の山に射る陽光も変わらない。
1923年の冬の風の冷たさも、2018年の冬の風の冷たさも変わらない。
だから、旧字体漢字や旧仮名遣いであることを除けば、どの文章も、山を歩くヒトなら違和感なく山の空気を感じながら読むことだろう。
山での遭難死は、誰にも同情されない命の落とし方。
板倉勝宜は華族の生まれ。
子爵の七男坊。
かじるに十分な太いスネを持ち、かじっていても非難されない立場のヒト。
不謹慎を承知で言うのだが、こういうヒトの若死に は同情されない。
ましてや、山での遭難死。
もちろん本人は若くして命を落とすなどとはツユほどにも思っていないから、本書中に死を予感する文章はない。
同情される死ではなかったヒトの文章。
明るく健康で、生に満ちている・・・
本夕、読了。
登山もそうだが、釣りも連続した時間、それもかなり長い時間を使う。
両者とも時間に余裕のあるヒトの趣味。
と、言えば聞こえがいいが、早い話がヒマ人の遊び(^^;
オイラ、山を歩く。
釣りに出かける。
一度も、0.1秒もそれを自覚したことはないが、オイラ、ヒマ人(^^;
(注)
槇有恒・三田幸夫とパーティを組み、案内人を付けての登山時に吹雪に遭遇。
板倉のみ、疲労凍死。
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