『テグス文化史』を読む
絹はカイコのマユからとる。
テグス(テングス)はマユを作る直前のガの幼虫からとる。
テグスをとるガは、天蚕糸蚕(テグスサン:インド・中国南部に生息)。
400ページ近くを使って、〝釣り糸〟の歴史が語られる。
こんな喫茶店で読み始め。
テグスを日本にもたらしたのはポルトガル船で、17世紀もしばらく経ってから。
日本人は、かなりの期間、テグスをガからとると分からなかったらしい。
ヒトの動きのたまたまがあり、淡路島(由良地区)がテグスの集荷・出荷及び精整地となり、糸の手入れをする女工が900人。
当時の大工の手間賃の1.2倍以上の給金を、女工らは得ていたと書かれている。
また、明治の終わり頃には、淡路島から全国へテグスの通信販売も始めている。
のち化学繊維に押されていくのだが、瀬戸内海じゅうを商圏としてテグスの行商販売をする船が33隻もあったという。
行商は7、8ヶ月に及んだと書かれているが、すなわち残り4、5ヶ月は商売に出なくとも食っていけたわけで、悪い生活ではない。
この行商船、海上でも商売をしていたそうだ。
その最後のテグス行商船が商売を終えるのは、最近のこと。
1972(昭和47)年。
由良は、'55(昭和30)年、洲本市と合併。
'74(昭和49)年に、994ページの大冊、『洲本市史』が編まれている。
『洲本市史』は、テグスで潤った歴史について、ひとことも触れていない・・・
本夕、読了。
本著者、大変な量の書籍・資料を読んで、『テグス文化史』を書いている。
しかし、イメージせず、文献をただ書き写したろうと思われる文章多々。
例えば、こんな文章がある。
〝マイクロメーターによる長さの検査〟
マイクロメーターを使うなら、長さでなく直径。
〝バルブナイズした油〟
多分、本著者はこの〝油〟が何なのか、〝バルブナイズ〟とはどんなことなのかを理解していない。
などなど。
釣師(のつもり)が、釣り糸の本を読む。
しかし、こういう本を読んでも、釣果にはホンの少しも結びつかない(^^;
コメント
1、「『洲本市史』は、テグスで潤った歴史について、ひ とことも触れていない・・・」って何故?
2、昭和47年まで何の用で使われていたんでしょう?
3、是非触ってみたいと思いました。
4、弊艇、イカは発見出来ませんでした(゚ー゚;。
投稿: 夫婦釣り | 2018年7月31日 (火) 17:53
夫婦釣りさん、こんにちは
この夏のイカは、昨年以上に厳しいでしょうね。
発見できないのではなく、あの海域にはいないのだと思います。
はたしてこの先、現れるのか、このまま終わるのか(^^;
淡路島でキャンプをしたことがあります。
泳いでいるすぐ近くで竿を振っている人がいます。
海水浴場でキスが釣れるンです。
あまりきれいな水でないので、ちょっと潜らなくてはなりませんが、背の立つようなところの海底にキスが張り付いているのが見えます。
昭和47年まで活動していた行商船の写真が掲載されています。
寝泊りできる船ですが、動力船ではありません。
〝ろ〟。
先々でオカに上がって卸したり、小売をしたり。
何百隻も集まって漁をしている船団の中に入って海上取引をしたり。
雑魚を十何種類もイケスに泳がせ、すぐ横でそれを料理して食べさせる店に入ったことがあります。
瀬戸内はそんな海なんですね。
本書の〝あとがき〟に、〝失われた釣り文化〟という言葉があります。
釣りを文化と言っていいのものなのかどうなのか。
埋もれて消えていくはかないもののようには思います。
『洲本市史』にテグスで潤った歴史が掲載されていないのは、そんなところが理由でしょう。
投稿: KON-chan | 2018年7月31日 (火) 20:31