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2018年5月14日 (月)

『海軍工員記』を読む

長崎県五島列島、そこで浄土宗の寺の住職をしていたのが著者。
徴用されて帝国海軍佐世保工廠の工員となる。(注)
徴用されたのは帝国敗戦の前年の6月、著者34歳の時。

 

Photoこんな喫茶店で読み始め。

全くの素人が、3ヶ月の見習い期間を経て現業の場に出る。

7つある船渠(せんきょ:ドック)に、戦場から帰還した艦船が入る。
著者に与えられたのは、その艦船のスクリューの状態(変形・腐食・亀裂など)の測定とその見取り図を作ること。
及び、スクリューが回っていた時間の機関員からの聞き取り。
それはスクリューの交換要否の判断に使われ、改善・開発の研究用データとして供される。

一番遠いドックまでは1時間。
つい数日前まで戦場海域で回っていたスクリューだ。
まともなものがあるはずがない。
著者は、その測定作業を徴用女学生らと行うのだが、彼女らはそれを楽しみにし、また艦側でも彼女らを歓迎したという。

本夕、読了。

佐世保工廠の勤務者数、1925年頃は5千人。
1939年で2万2千人。
それが、著者が佐世保工廠で勤務する1944、5年には、5万6千人を超えて集められている。
(この数字について、あとがきには5万6千人余と記載されているが、本文中には7万人を超えるとあって記述が混乱している)

人が多いと、どうなるか。
それも、あまりにも多いので、汲み取りが間に合わないため便槽から糞尿があふれ出すほど。
便所に入るための高下駄を作って対応したようだ。

実務においても、1人でできる仕事に3人も4人もが手をかけることになり、人の数と業務遂行量が比例するどころか、かえって非効率化したようなことが書かれている。

インターネット・エクスプローラーはIE。
マイクロソフト開発のブラウザ。
IEはIEでもインダストリアル・エンジニアリングのほう。
管理工学とか生産工学とか能率とかと呼ばれるIE。
さすがと言うか、やはりと言うべきか、これを学問の体系に整え実業の世界に適用したのは米国。
〝管理〟というのは講義で学んでも役に立たないというのが、日本人の心情雰囲気。
だからかもしれない。
今でも、日本の労働生産性は米国の7割もない。

(注)
工廠(こうしょう)とは帝国軍直営の軍需品工場。
横須賀工廠・舞鶴工廠・呉工廠・佐世保工廠が帝国海軍四大工廠。
  ・横須賀工廠は、のち米軍横須賀基地
  ・舞鶴工廠と呉工廠は、のち石川島播磨重工を経てジャパンマリンユナイテッド
  ・佐世保工廠は、のち佐世保重工業佐世保造船所
となり現在に至る。

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