『いとも優雅な意地悪の教本』を読む
著者は、『桃尻語訳 枕草子』、『窯変 源氏物語』の橋本治。
筆が立つと言うか弁が立つと言うか、頭のいいヒト。
こんな喫茶店で読み始め。
子供の〝意地悪〟、大人げない〝意地悪〟。
そんな見え見えの〝意地悪〟の話ではない。
他人が(無意識に)言うこと書くことやることを分析、ニヤニヤする話。
知識とそれを使いこなす知性がなければ、それが〝意地悪〟なのに気が付かない。
著者は出し惜しみすることなく、古今の作家の文章、映画のシーン、歌舞伎の一幕等々の知識を見せる。
それらは重箱の隅つつきとは言わないが、自論に持ち込むためのいいとこ取り、我田引水、揚げ足取り。
なのだが、著者は大変優秀。
ああ言えばこう言う的な理屈をこねていることを、著者自身、十分に知った上で話を進める。
読後は、その知力、頭の回し方に、すっかり押し出されてしまった気分になるヒトが多いだろう。
世のその他大勢の一人である私も、ンな気分。
愉快な気分ではないが、頭のいいヒトにはかなわないなァと納得できる気分ではある。
本夕、読了。
帯に書かれた〝上質な意地悪が足りなかったから、日本人は下品になった。〟は、本書の内容と全然違う大ウソ。
もちろん、著者の考えとも違う。
だけど、こうして大きく表示する。
これこそが、〝いとも優雅な意地悪〟。
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