『被差別の食卓』を読む
著者は被差別部落(特殊部落・同和地区:北海道・沖縄にはない)の出身。
子供の頃から、しばしば食べていた輪切りにした牛の腸の揚げ物が、部落の外では食べられていないと知ることから本書が始まる。
こんな飯屋で読み始め。
話題としているのは、ソウルフード。
差別、それもとんでもなく下の方に差別されている者たちの食事がソウルフード。
(〝ソウルフードの定義は?〟みたいな面倒な話はしない。 ここでは、本書の言葉の使い方にならう。)
各地を旅し、ソウルフードを食べる。
旅して見た差別されている者たち、差別されてきた者たちとは、
米国の黒人
ブラジルの黒人
ブルガリア・イラクのロマ(ジプシー)
ネパールのサルキ(カースト最下層民)
そして、自分自身、日本の被差別部落民のこと。
彼らを差別している(差別してきた)者たちが食材としない(しなかった)モノ、例えば、牛豚の内臓とか飼料用トウモロコシとかハリネズミなどを食べる。
今々現在のそれらは、ソウルフードを看板にしたレストランでないと食べられなかったり、食材価格が上がり決して安価な食べモノではなくなったりしていたりもする。
しかし、著者の書こうとするのは、食った・ウマイ・マズイではなく、
・被差別者となった歴史
・独裁国家に対する国際正義(であると信じている米欧的価値観)と独裁国家に住む被差別民が持つ国際正義と正反対の価値観
・糞尿垂れ流しの場で、今まさに死に至らんとする若者のほんの短い過去
・その悪臭にヘドを吐く現地の若者の心情
・著者の顔面に香水を吹きかけ、悪臭からのがれさせようとしてくれる現地の若者の心情
・ネパールのサルキと欧州のロマと日本の被差別部落民とのつながり
のこと。
ソウルフードを食べる旅をして日本に戻ってきた著者は、改めて自分のソウルフードの輪切りにした牛の腸の揚げ物を食う。
そして言う。
被差別の食卓は、被差別の歴史であると。
本夕、読了。
さて、これから夕食だ。
お湯を沸かしてジャー。
レンジでチン。
我が家のソウルフード(^^;
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