『オッペケペー節と明治』を読む
19世紀最後の年の1900(明治33)年に録音されたレコード盤が、'95年に英国で発見されている。
いま確認できる限りでは、日本人の最古の歌声の音源だとのこと。
youtubeで、その日本人の最古の歌声を聞くことができる。(注)
歌は、〝オッペケペー節〟。
こんな喫茶店で読み始め。
1889(明治22)年頃から、2年ほどの内に日本中に知られる流行歌となった〝オッペケペー節〟。
その流行に大きく関わったのは、落語家で新派劇役者だった川上音二郎。
川上一座は、米国・欧州へも公演して回るに至る。
youtubeで聞けるのは、川上一座がパリ万博で公演した際の録音。
ところで、国産蓄音機の販売は1910(明治43)年。
小学校で音楽が教科として採用されたのは1907(明治40)年。
ラジオの定時放送の開始は1925(大正14)年。
〝オッペケペー節〟の流行はそれより前。
〝オッペケペー節〟は、どのように流行していったのか。
著者は、それを鉄道網の充実、声文化から文字文化への変化に解を求める。
新橋・横浜間の鉄道の開通が、1872(明治 5)年。
上野・高崎間 1884(明治17)年
新橋・神戸間 1889(明治22)年
上野・青森間 1891(明治24)年
男性の就学率、
1886(明治19)年 62%
1902(明治35)年 96%
新聞雑誌総発行部数、
1883(明治16)年 5730万部
1892(明治25)年 2億4420万部
と。
実は、〝オッペケペー節〟はネタに過ぎない。
明治とは、〝オッペケペー節〟の流行といった程度のエポックをネタにしてさえ、本を1冊書けるほどの時代であったことが本書で知らされる。
本夕、読了。
本書では触れられていないのだが、私は軍隊(帰郷軍人)による情報の地方拡散の力が大きかったのではないかと考える。
帝国陸海軍の創立は1871(明治4)年で、同時に軍楽隊も組織される。
徴兵制の始まりが、1873(明治6)年。
陸軍2年、海軍3年で兵役免除で帰郷。
それと一緒に、情報が地方に移っていったのではなかろうかと。
さて、〝オッペケペー〟とは何なのかに答えるには、
すっとこどっこい
タマゴの親じゃ、ピヨコちゃんじゃ、ピッピッピヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガァーガァー
ずいずいずっころばしごまみそみそずい
おちゃらかおちゃらかおちゃらかホイ
やァーれんそォーらんそォーらんそォーらん
えんやらどっこいしょ
とは何なのかに答えるほどに困難(^^;
(注)
歌として残っているという意味での最古の音源。
日本人の声が録音され、その音源が日本にもたらされ再生された最初の記録はもっと早く、1889(明治22)年。
駐米公使だった時の陸奥宗光の声。
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