『「その日暮らし」の人類学』を読む
明日のことなら、おぼろに見える。
明後日のことなら、おぼろにも見えない。
昨日のことなら、おぼろに憶えている。
一昨日のことなら、おぼろにも憶えていない。
私のことだ。
〝その日暮らし〟の私(^^;
本書内の言葉を借りれば、〝Living for Today〟
こんな喫茶店で読み始め。
我々はモノ・サービスの価値を貨幣で換算する世界で暮らしている。
それを受け入れる世界は、
大きく言えば、「民主主義」を無邪気に認める世界、「貨幣に換算された価値」を無邪気に認める世界。
小さく言えば、「早寝・早起き・規則正しい生活」を無邪気に認める世界、「適度な運動・腹八分目」を無邪気に認める世界。
教育(環境と言い換えてもいい)のせいだ。
我々は〝知らない〟だけなのだと思う。
というか、誰かの言った「いい・悪い」、「高い・安い」、「うまい・まずい」・・・をオウム返ししているだけなのだと思う。
〝その日暮らし〟だから、今日は食っていける。
〝その日暮らし〟でも、明日も食っていける。
それが、副題の『もう一つの資本主義経済』の意味。
本夕、読了。
本書『「その日暮らし」の人類学』の調査フィールドは、中国・タンザニア。
著者によると、〝(文化)人類学〟とは、〝我々とは異なる生き方とそれを支える知恵や仕組み、人間関係を明らかにする学問〟だと。
中国やアフリカに調査に行かなくては、それを知り得ないってのは、〝人類学〟とは何と か弱い学問か。
街を歩いてみよ。
沖に出てみよ。
山を歩いてみよ。
さすれば、自分とは異なる生き方とそれを支える知恵や仕組み、人間関係をたった一日で明らかにできる。
と、考える私は、〝変人類学〟を知っている(^^;
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