『A Pale View of Hills』を読む
12月22日に読了したのは、Kazuo Ishiguro の『遠い山なみの光 』。
『遠い山なみの光』は会話文が多いのだが、日本語で読む限り、それは口語的でない。
また、地のセンテンスは短く、読み返さないと理解できないような複雑・難解な文章はない。
ンで、原書も読めるだろう、と。
こんな喫茶店で、読み始め。
日本語訳で読んだ通り、単語こそ義務教育レベルを超えるが、構文に複雑なものはない。
翻訳本ではあったが、一度 読み切っているというのが効いているのだろう、それほど時間をかけずに本書を読み通すことができた。
すでに、先々月の22日に拙ブログの 『遠い山なみの光』を読む で記事にしたから、それ以上のことをああこう書くつもりはないけれど、やはりストーリーを言うのもテーマを言うのも難しい。
Hayakawa Onlineの『遠い山なみの光』の紹介文が、本小説のストーリーをわずか2行でまとめている。
これが、とてもウマイ。
本夕、読了。
著者の他の長編の邦訳版の題名は、原題を日本語に ほぼ直訳。
ところが、本書の邦訳版は、初め『女たちの遠い夏』として出版され、のち、原題に近い『遠い山なみの光』に改題されている。
この改題された『遠い山なみの光』にしても、彼の他の長編ほどには、原題をストレートに訳していない。
翻訳者が何を考えたのかを私は分かっているつもりなのだが、とても2行でそれを言えるものではない。
題名の説明が大変に難しい本である。
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