『皇室の祭祀と生きて』を読む
副題は、『内掌典57年の日々』。
掌典(しょうてん)なら男性、神職。
内掌典とは巫女(みこ)のこと。
侍従・女官は宮内庁職員で国家公務員。
掌典・内掌典も戦前は公務員だったが、今は皇室内廷費で まかなわれる。
内廷費は公金ではないので、掌典・内掌典は、形の上では天皇に直接 雇用される使用人ということになる。
仕える先は宮中神殿・賢所。(注)
こんな喫茶店で読み始め。
本書の構成には編集者が深く関わっているようで、我々になじみのない言葉への説明がたくみ。
が、説明なしに使われる言葉も多い。
それらが手持ちの辞書では引けず、また、ネット検索にもかからずで、なかなか先に進めないページもある。
しかし、それがいい。
本書中には、
眠い、痛い
不信、勘ぐり
値踏み、コストパフォーマンス
忙しい、不味い
暇、省略
罰、不幸
といった つまらない言葉は出てこない。
・・・候所にも、賢所様が御殿から時にはならせられ、皆々御覧あそばしますので、常に居住まいを正していますように・・・
内掌典の日常語である。
本書は、こういった文章で書かれている。
3、40ページも読み進むと、この内掌典の言葉のテンポに、行を追う目の動きが同調するようになる。
彼女らの言葉づかい・所作・作法、全てが口伝なのだという。
それら 言葉づかい・所作・作法も、奉仕者としての心構えも時間の変化を受けない彼女らだが、やはり今の世に生きるヒト。
被雇用者だから、労働基準法が適用されるのだと。
本夕、読了。
以下は裏付けのない私見。
エリザベスⅡ世は、英国聖公会(英国々教会)の最高位主教(みたいなもの)。
それと相似させ、神道の最高位祭主に天皇を置くと、宮中で行われる祭祀行事を考えやすい。
昭和天皇の話し言葉の抑揚は、神職のあげる祝詞(のりと)そのものだった。
ところで、本書中に掲載されている昭和天皇の歌、
夏たけて 堀の蓮の 花みつつ ほとけのおしえ おもう朝かな
には、皇室の宗教観・哲学が見える(ように思う)。
本書内にも、皇室が神道・儒教・仏教の融合を考えてきた歴史がある旨の記述がある。
(注)
〝賢所〟は八咫鏡(やたのかがみ)が祀られている場所。
〝かしこどころ〟と読むのが正式なのだが、内掌典らは これを〝けんしょ〟と発音する。
また、我々が〝にいなめさい〟と発音するところの〝新嘗祭〟を、内掌典らは〝しんじょうさい〟と発音する。
著者が任命され辞するまでの57年間、内掌典は3人から6人の範囲で変動。
掌典(及び掌典補)は、はるかに多く30人程度。
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