『アルピニズムと死』を読む
本書の初めのほう。
著者は、
〝僕が想像できうる、この世の最も美しく思える行為とは、巨大な山にたった一人、高みに向けひたすらに登っているクライマーの姿なのです〟
と書く。
こんな喫茶店で読み始め。
〝もしも遭難したら家族がとても悲しむ・・・〟と自問する。
対する自答が、
〝でも、事故や病気で亡くなることと、家族の心の痛め方に違いがあるのか〟
〝遭難したら他の人に迷惑をかける・・・〟と自問する。
対する自答が、
〝でも、世の中の人と人の繋がりというのはそんなもんだ〟
岩壁を40メートル落ちる経験をしている。
岩壁を80メートル落ちる経験をしている。
雪崩に巻き込まれる経験をしている。
ゴーグルを失い、眼球が凍りだす経験をしている。
登った山から見える他山の名前を知らない
山で見る花の名前を知らない
気象の知識はない
地図の知識もない
と言う。
活動の多くがソロ。
GPSも通信機器も持たずに山に入る。
副題が、「僕が登り続けてこられた理由」。
彼が登り続けてこられた理由。
運が良かっただけ(^^;
妻も一流クライマー。(注1)
時には、夫婦で7000メートル級の高山に登ったり、1200メートルの岩壁を登ったりもする。
7000mの難峰への4泊5日の行程に持っていく夫妻2人分の食料は、わずか2キロ。
夫婦合わせて、凍傷で失った手の指は15本、足の指は13本。
本夕、読了。
山に魂を奪われている彼は、こうも言う。
〝街では生を感じられない。 マカルー西壁(注2)から頂に立てるならば、命を引き換えにしても・・・ 夢を追いかけ死んで何が悪いのか〟
〝山での死は決して美しくない。でも山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない〟
とも。
〝人生をかける〟とは、山バカが言いそうなこと。
釣りバカも言うなァ(^^;
(注1)
著者も無酸素・単独でK2(8611メートル)の頂に立っているが、妻も無酸素で8000メートル級の高山の頂に立っている。
8100メートルでの2日間のビバークに耐えた人でもある。
(注2)
マカルーとは、世界第5位峰。
ヒマラヤ山脈中の山で、8463メートル。
垂直でもろい岩の西壁は未踏。
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