『日本兵捕虜は何をしゃべったか』を読む
軍人の出す家族宛ての手紙から軍機が漏洩することをおそれ、帝国軍は検閲に気を使っていた。
おそれた漏洩先は、敵国というよりも、むしろ自国内。
こんな喫茶店で読み始め。
敵性語だということで、「ストライク」を「よし」、「ボール」を「だめ」と言い換えたというのは有名な話。
実際には、
〝臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。(中略)西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。〟
とか、
〝さらばラバウルよ(中略)愛しあの娘のうちふるハンカチ(後略)〟
とかとか。
ニューズなら英語だけれどニュースは日本語、ハンカチーフなら英語だけれどハンカチは日本語との解釈だったのか。
そうでもなさそうな。
〝さらばラバウルよ(中略)語りあかそよデッキの上で(後略)〟
とか、
〝エンジンの音ゴウゴウと、隼はゆく雲のはて(後略)〟
とかとか。
日米開戦前月には、米国軍は日本語学校を開設、日本語を理解できる軍人の養成を始めていた。
ひるがえって帝国では、(旧制)中学校でも英語の授業を行わないところが増え、士官学校では受験科目から英語を外した。
帝国軍は自軍から捕虜が出ることを想定していなかった。
どころか、戦死者が出ることも想定していなかったように見える。
帝国軍では日記をつけることを奨励していて、兵士らは日記を、のみならず、作戦命令書や地図まで身につけて戦闘の場に出ていた。
帝国軍戦死者の持つそれらから、軍機がだだ漏れになる。
捕虜になる帝国軍人はいない前提。
その前提とは違う事態におちいった帝国軍人は、洗いざらいに知っていることを話す。
日本人像がこれら帝国軍捕虜の言動から分析され、占領政策立案に反映されることになる。
本書は情報論。
組織論。
日本人論。
本夕、読了。
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