『ラバウル獣医戦記』を読む
著者は帝大獣医学科及び帝国陸軍獣医学校を卒業した獣医将校。
本書は、著者80歳の時に出版されたもので、ニューブリテン島ラバウルに赴任した'41(昭和16)年末から日本に帰還する'46(昭和21)年5月までの、獣医軍人として活動した足掛け5年間の話。
復員後は、農林省を経て大学教授をつとめている。
こんな喫茶店で読み始め。
陸海軍合わせて8万人の将兵と、当時の国力の3分の1に相当する物資がニューブリテン島に集められていたという。
この島に1万頭の軍馬を集める計画があり、実際1万頭分の蹄鉄の備蓄が終わっていた赴任地だが、軍馬1万頭、それはかなわず。
かなわずしても、著者赴任時には3千頭の軍馬のニューブリテン島への輸送が終わっていた。
馬3頭に1名の割合で世話兵が当てられていたというから、それだけでも1千人がこの島で馬と関わっていたことになる。
第二次世界大戦参戦国で戦地で馬を使わなかったのは米国のみだが、すでにニューブリテン島においても馬を使う必要はなかったようだ。
著者の獣医としての仕事ものんびりしたもので、防疫・診療は午前中には終わり、〝午後からはぶらぶら〟していたようなことが書かれている。
南洋の島の植生は馬に与えるにはふさわしくなく、飼料は日本からの輸送に多くを頼っていたのだが、しかし、飼料どころか人間用の食料さえ届かなくなる。
島とは言っても、ニューブリテン島は東西にバナナ型をした九州ほどの面積を持つ大きなもの。
大きな島であることと島自体が強固に要塞化されていたため、米軍のこの島への本格的軍事力行使はなかった。
それゆえ、馬を飼う牧草地を開き、人が食うためのイモ・カボチャ畑を開墾、養鶏、養豚を行うことができ、日本からの輸送が途絶えても自活することが可能だった。
ヤシが大量に自生、その実でドブロクを作り、まもなく焼酎を作るための蒸留器まで完成させている。
上で書いたように、当時の国力の3分の1に相当する物資が集められていたのだから、それを扱う知識・技術・技能を有する者ばかりいたわけだ。
蹄鉄工兵は、言ってみれば鍛冶屋。
彼らは、農機具や切れ味のいいカミソリを作る。
また、徴兵された者の前職も様々。
特に北海道の農家出身者の大規模農法・酪農の技術は、食料事情改善に大いに貢献している。
印鑑職人だった者に水牛の角で印鑑を作ってもらい、これは著者の終生の実印となり、寿司職人だった者からは洒落た懐石料理をご馳走になる。
みたいな話が続くが、ではあっても、タンパク質不足は深刻だったようで、著者のニューブリテン島での最後の仕事は、獣医ではない。
まずは何をおいても食わねばならぬ。
最後の仕事は、食用カタツムリの増殖を目的とした生態研究。
ところで・・・
この何ヶ月も前からのことだから、秋が深まってきたからとか寒くなってきたからというわけではない。
どういうわけか、何を食べてもウマイと感じる私。
カボチャ・サツマイモ・カップ麺なんて、自ら食べようと思ったことなどない。
が、食べたいと思う。
そして、食べるとウマイ。
水道水でさえウマイ。
食塩をなめてもウマイ。
沖に出てクチビルの回りをなめると、乾いた潮がウマイ・・・
はずだが、この味は忘れてしまった(^^;
しばらく、沖に出て潮をかぶるということがないなァ。
本夕、読了。
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