『「スコアブック」は知っている。』を読む
開始から終了までの経過を、紙1枚に記録できる競技には何があるだろうか。
私に思い浮かぶのは、野球・ゴルフ・ボーリング・囲碁くらい。
あァ、人生の開始から終了までなら、紙1枚もいらないのかもしれない・・・
スタンダールの墓碑銘が、〝書いた 愛した 生きた〟だったっけ(^^;
著者は、「ベースボール・マガジン社」の野球・サッカー・バレーボール・バドミントンなどの記者・編集者だった人。
こんな喫茶店で読み始め。
本書は、取材過程で見た聞いた高校野球の人・ことがらに関するもの。
著者の高校野球の取材歴は長い。
春夏47大会を、甲子園記者席から見ている。
スコアブックの余白にメモを取りながら、付けたスコアは2000試合近くになるという。
本の表題は『スコアブックは知っている。』だが、著者は多分、自分で付けたスコアブックを見なくてもこの本を書けたものと思う。
何といってもやはりプロのスポーツ記者。
観察眼と記憶の整理は確か。
心底、高校野球が好きな人なのだろう。
多くの高校野球監督と話をしている。
この本の記述の多くが監督にさかれる。
世間は高校野球に、さわやかさ・いさぎよさ・懸命さといった いわゆる高校野球らしさを期待し求める。
例えば、攻守交代時の全力疾走
例えば、相手4番を敬遠するために苦しい練習を積み重ねてきたわけではない
と。
しかし、著者は世間の求める〝高校野球らしさ〟に必ずしも肩を持たない。
ある監督は、
「厳しい練習、日本一長い練習をやれば日本一になれる。スポーツは根性さえあればいける。ライバルより厳しくやればいいんだと考えていた時期がある」
と、たるんでい(るように見え)たりミスをした選手には走らせ・正座させ、夜中まで練習させていたことを自省する。
わずか3歳の年の差しかないのに、理不尽な上下関係のある選手間の先輩・後輩。
そして、それらせいぜい18の子どもたちの上に立ち、選手の起用からして胸先三寸なのが監督の立場。
1年たつと1/3の選手が入れ換わるのが高校野球。
ある監督は言う。
「監督というのは、自分が生きていく、生活していくための職業。」
また、
「選手は道具。選手を鍛えるのは結果を出すためだった。犠牲にした選手もいる」
と。
負けて、指導法を変える監督がいる。
全てが終わってから、指導法を省みる監督がいる。
何も変えない監督がいる。
本夕、読了。
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