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2016年5月17日 (火)

『闇屋になりそこねた哲学者』を読む

日本には哲学研究者はいるが、哲学者はいない。
と、聞いたことがあったような、なかったような。

それはさておき、私は哲学(だけではないけれど)という学問を知らない。
知らないでこの記事を書くのだが、思索することを哲学、思索する人のことを哲学者とここでは表現することにする。

 

Philosopherこんな喫茶店で読み始め。

哲学者の木田元(きだ げん:'27-'99)の自叙伝。

この本は、編集者の著者に対する長時間かけたインタビューがもと。
編集者の聞き書き原稿に、著者が削除・加筆の手を入れて書になしている。

著者の、海軍兵学校(海兵)への入学が敗戦の年。
よって、海兵生活半年せずしていったん学業の場を離れる。(注)

自ら、喧嘩に強いと言う。
というのも、エリート軍人養成の海兵での、上級生から茶飯事としてされた鉄拳制裁。
短い海兵生活だが、殴られることを怖いと思わなくなったと。
海兵に進学できたということは、頭の切れは当然のこと体も頑健だったということ。
職業軍人になるために海兵に入学したくらいだから、そもそも はなから命を捨てている。
喧嘩に弱いわけがない。

そういう人が、本を読む。
英語をものにし、ドイツ語をものにし、ギリシャ語をものにし、ラテン語をものにし、フランス語をものにしと、哲学のための書を読むのに必要な語学を得てゆく。
読み方は精緻。
一字一句、全ての語を、全ての引用元を読む。
哲学者の書く本、哲学者の講義録というのは、そういう読み方をしなくてはならないものらしい。
また、そういう読み方をされることに耐えるもののようだ。

さて、私。
そういう読み方を求められる本を手にしていることが、もしかしたらあるかもしれない。
いや、ない。
釣り本にはない(^^;

本夕、読了。

(注)
陸軍士官学校(陸士)と海軍兵学校(海兵)は、帝国における入学最難関校。
敗戦時の当該2校の在校生は、無条件で帝国大学への編入学が認められたらしい。
著者は満州国官吏として大陸に赴任していた父親が上記特例措置期間内に帰国できず、学費の用立てができずに学窓から遠のくことになる。
山形の親戚を頼って一時そこに住むことになり、そこで市役所臨時職員・小学校代理教員・農林学校生と経る過程で、運び屋・闇屋稼業で大儲けする。
『闇屋になりそこねた哲学者』というタイトルはそこからきている。
なお、陸士・海兵在校生への特例措置が無効となったのち、著者は入学試験を受けて大学に入り哲学を学ぶことになる。

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