『私の本棚』を読む
中学校に上がった時のこと。
女の美術教師が言ったのは、
『自分の絵を見られることは、自分の裸を見られるのと同じ。 恥ずかしいこと』
自分の釣果や読んだ本をネットで公開するというのも同様。
大変に恥ずかしいこと。
私は恥知らずだから、やっているが(^^;
いや、恥は知ってるつもり。
だから、自分の心情を濃くかもすような釣果画像は掲載せず、ごく記録的に。
大ウソ(^^;
また、1000行費やしても書き足りないほどに動悸が早まる読後感を持つことや、徹夜でページめくり続けることもあるけれど、それらは胸の内に。
大ウソ(^^;
こんな喫茶店で読み始め。
23人が『私の本棚』を書いている。
23人の職業は色々。
作家・俳優・画家・登山家・農学者・哲学者・武道家・写真家・編集者等々。
〝本棚〟を文字通りに本を並べるタナの意と解釈して書いている人が8割くらい。(注1)
本棚(書斎)の写真を載せている人が半分くらい。
武道家。
『若草物語』や『赤毛のアン』を読んで、少女たちは行動する前にあれこれ考えることを知る。
少女たちには〝内面〟があると。
対して、『宝島』『十五少年漂流記』の少年たちの逡巡や葛藤は、〝行動の停滞〟で〝内面〟がないと。
で、それを感じるのが小学4年の時。
登山家。
テントの中で吹雪の音を聞きながらの停滞日。
その時 ザックから出すのは俳句集・漢字の本。
仲間と句をひねる。
コンニャクの漢字を確かめる。
ところで、読書は美徳、ほめられることなのか。
『論語読みの論語知らず』とか。
結果が〝論語知らず〟となっても、〝論語〟を読むだけ悪くはないように思う。
私が読むのは釣り本ばかり。
本を読んで釣果が上がるのであれば、それは私には意味のある読書かもしれない。
しかし、釣り本を読んだことで、釣果が上がった経験は一度もない(^^;(注2)
本の表題だけ見て本を買う。
私が釣られている(^^;
本夕、読了。
(注1)
『私の本棚』というテーマを与えられて23人中の8割が、「本の収納がどうたらこうたら」とか「並べ方がどうのこうの」という内容の文章を書くというのは私には予想外だった。
本の収納のための本棚に、誰が興味があろう。
例えば、『オトコの台所』というテーマを与えられて、「台所の広さがどうたらこうたら」、「ナベの置き場所がどうのこうの」なんぞとは書かないと思う。
『オトコの台所』というテーマなら、〝男がタマに作る手料理〟のことだろうというのが私の感覚。
『私の本棚』という表題で私の期待した内容は、「こんなヒトのこんな本を読んでいて、ウンヌン」とか「あんなことに興味があるので、これとこれを読んで、ウンヌン」みたいなこと。
(注2)
そもそも、地図を読むとか時刻表を読むとか電化製品の取り説を読むとか囲碁の棋譜を読むとか新聞を読むとかは読書ではない。
写真集や画集や辞書も含まれそうだ。
そのつながりで、釣り本なんぞも読書にならない。
という人が、(私は違う感覚を持っているが)ほとんど(だろうと思う)。
が、写真家が寄せた『私の本棚』は、以下の通り。
紙袋ひとつと二冊の本を持つホームレスの老人を知る。
二冊は広辞苑と大英和で、いつもどちらかを読んでは老人は独り言をつぶやく。
写真家は思う。
最高にうらやましい本との付き合い方だ、と。
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