『裁判官の爆笑お言葉集』を読む
〝法律〟という観察でき定量化できる〝実体〟が、この世のどこかに埋もれているわけではない。
法律は、基準も尺度も全て人が考え 人が組み上げるもの。
法律は だから、緻密かつ全方位的に頭を使える人、つまり頭のいい人によって作られ扱われる(ものだと思う)。
何年か前の話。
判決文には、
ああいうことを行い、こういう結果となった。
そのことは法律のナニナニのコレコレに触れるので、懲役N年が相当
である。
と書くだけでいい。
判決文を読み上げたら、それ以上 何も言う必要はない。
そうあるべきだとそれを実行し続けたために再任不適当となりかけ、自ら職を辞した地方裁判官がいた。
司法管理職側の考えは、裁判官が判決決定に至るまでの考察なり、法律用語で表現できない意見なりを書くべき・言うべきだというもの。
要するに、もっと長い判決文を書くべき、法廷で話すべきだとの考え。
本書に書かれているのは、その〝もっと長い〟に相当する部分。
法曹用語で説諭とか付言と呼ばれるもので、権利として裁判官に付与されている。
本書で扱われているのは、口頭で発せられる説諭が多い。
ここでは、用語の定義とか法曹界内と外での用語の使い方の違いといった面倒な話には触れない。
よって、裁判官と判事はどうとかこうとか、判決文と判決書はどうとかこうとか、説諭と付言はどうとかこうとかといった話はしない。
ここまで書いた内容もそうだが、以下も私が理解できる言葉で。
こんな喫茶店で読み始め。
〝爆笑〟とあるが、〝素の人間の言葉〟、〝なまの言葉〟という意味合い。
早い話、裁判官による講釈・説教。
犯罪者同然の私が読むと、〝チッ〟ってのもあるし、〝エラッそうに〟ってのもあるし、〝ンなこと言うオマエはどぉなんだ〟ってのもある(^^;
例えば、
「さだまさしの『償い』の歌詞を読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分るだろう」
と、殺人少年に説諭した裁判官がいる。
〝さだまさし〟と言われた時点で、少年の腹の中は〝ケっ〟だったろうと思う。
しかし、著者にほんの少しの裁判官批判もない。
著者が法曹志願者だったからかもしれないが、全編きわめて肯定的・好意的な文章がつづられる。
こういう、無条件の肯定・好意で埋められた本というのは、趣味の本でさえ滅多にない。
裁判官の言葉よりも、この著者の心根の気持ち良さが印象的。
本夕、読了。
コメント
こんばんは。
この本、私も読みました。
面白いですね―。
この本はもう一冊兄弟本というか、続編というか
ん?、どっちだったかな?。ありましたね。
どっちもおもしろかったです。
〝償い〟の入ったアルバムは持っておりますが
さすが「さだ」っというレベルの楽曲でした。
投稿: きーさん | 2016年4月19日 (火) 21:30
追記
〝償い〟を初めて聞いた時
不覚にも泣いてしまいました。
(色々と事情がありましてね)
それが、その後この本に掲載されておりまして。
人としての基本を忘れないよう、戒めて
くれたように思います。
投稿: きーさん | 2016年4月19日 (火) 21:37
きーさん、こんにちは
読んでから知ったのですが、この本、30万部以上のベストセラーなんですね。
この本のあとに書かれたのは『裁判官の人情お言葉集』です。
これも読みました。
法学部出身の三島由紀夫が法律の論理構成の緻密性・厳格性に頭の使い方を鍛えられたみたいなことを書いていますが、法律を学んだ人にはバランス感覚のある優秀な人が多いように思います。
この本の著者は司法試験7回受験者。
結局、法曹界に進むことはできませんでしたが、やさしい人ですね。
否定・皮肉・ねたみ・見え・知ったかぶり・こけおどし・金勘定なんてものが全くありません。
裁判官の言葉が書かれたあとに、著者の文章がほんの少し加えられるだけなのですが、こういう風には意識しても書けないものです。
本当にやさしい人なのでしょうねェ。
投稿: KON-chan | 2016年4月19日 (火) 22:58