『石油技術者たちの太平洋戦争』を読む
太平洋戦争は、
・航空機の戦い
・情報の戦い
・工業力の戦い
・科学の戦い
・文化の戦い
等々 色々な視点から論じられる。
本書は、 石油の戦い の視点で書かれたもの。
帝国が石油を確保するために立案した戦略と、その遂行にいた人たちの話。
なお、石油の体積はバレルで表すのが普通だが、以下、本記事中で使用する単位はKL(キロリットル)に統一した。
こんな喫茶店で読み始め。
現在の日本の石油の国内消費量は、年間2億5000万KL(1人当たり年間2KL)。
'38(昭和13)年の帝国の年間石油消費量は、現在の2%にも満たない400万KL。
輸入は540万KL。
国内消費量を上回る分をせっせと備蓄していたわけだ。
全輸入量の8割が米国から。
ABCDラインによる帝国への主な経済制裁は、
・在外帝国資産の凍結
・通商航海条約の破棄
・石油の禁輸(注1)
帝国軍の仮想敵国は ずっとロシア・ソ連だった。
だから石油輸入量の8割を米国に頼っていても、それを問題視する人は少なかった。
その少なかった人が、開戦の何年も前から蘭印(オランダ領インド:現在のインドネシア)の油田と製油所を得ることを考えていた。
蘭印全島の産油量は1000万KL/年。
オランダ・米国資本によって、大規模施設が操業されていた。
内、パレンバン油田の産油量が470万KL/年と、帝国々内消費量にミートする。
〝蘭印の油田と製油所を得ることを考えていた〟と書いたが、その手段は武力によるものという乱暴な話だから、〝考え〟といえるものなのかどうか。
何をもって成功というのかはさて置いて、開戦間もなく蘭印の支配国がオランダから帝国に変わる。(注2)
破壊された製油プラントの修復・製油所の操業・新油井(ゆせい)の掘削に石油技術者が蘭印に渡る。
タイピストや電話交換手として、若い女性も南の島に渡る。
オランダから奪った地にあったのは、油井地に至るまで舗装された道路、町には劇場・プール・テニスコート・ボーリング場。
オランダ人が住んでいた家には冷蔵庫があり、置かれていたウェスティングハウスやフィリップスのラジオはロンドンやサンフランシスコの放送も受信できた。
現地人の召使いが淹れるコーヒーで朝が始まり、昼休みは2時間、終業17時。
夢のような生活を、オランダ人にかわって今度は日本人が味わうことになる。
占領から1年後、製油所の修復が終わり、石油を満載して喫水を深く沈めたタンカーが、帝国に欲しいだけの石油を運ぶ。
〝夢のような〟とは はかなさの別表現。
米国潜水艦にタンカーが沈められ、製油量は減らないのに、帝国に届けられる油量が減って ついにはゼロとなる。
著者はプラント建設会社の技術者。
'37(昭和12)年の生れなので、本書内で紹介される話の当事者ではない。
だから、内容はごくわずかな聞き取りのほかは、多量の資料・文献に基づく。
技術者らしからぬ興奮した文章が連続する。
創作だとは言わないが、脚色は多い(ように感じる)。
少し疲れた(^^;
本夕、読了。
(注1)
禁輸といっても、商取引までもを禁じたものではなく、米国からは従前と変わらぬ量が輸入されていた。
禁輸されたのは、精製技術・改質技術。
今で言うノウハウ・知的財産だった。
当時の帝国には航空機燃料用の高オクタン価ガソリンを製造する技術がなく、その技術の導入を米国メーカーと交渉中だったが、それを御破算にされた。
開戦の前年になると、石油そのものが入ってこなくなった。
帝国は、結局 高オクタン価ガソリンを自前の設備では得ることができずに終戦に至る。
(注2)
開戦3ヶ月後、パレンバン油田と製油所を占領したのは帝国陸軍の落下傘部隊、いわゆる〝空の神兵〟なのは有名。
ほとんど同規模の蘭印への落下傘降下作戦を、帝国海軍が帝国陸軍に先立つ2ヶ月前に実施しているが、こちらを知る人は少ない。
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