『八月十五日の天気図』を読む
この季節(だけではないけれど)、前日17時発表の気象予報が、当日朝の5時の発表時にはかなり変わっていることがある。
直近12時間の気象観測により、予報がより確かなほうに修正されたということだろう。
ところが、その5時発表時点で、すでに現況と随分違うことがあるのが大いに不満(^^;
室蘭と豊浦・穂別・大滝・苫小牧を、胆振地方だということで一緒くたにして予報するというのは、無茶だと思う。
行政区(当地だと「胆振地方」)が予報単位なのは、どういう理由からなのか。
〝ところにより〟という言葉の使い勝手の良さに頼り過ぎではなかろうか。
こんな喫茶店で、読み始め。
著者は気象技術官養成所(気象大学校の前身)出身の帝国海軍士官。
敗戦前年の8月に沖縄から東京へ転勤。
その後、大分の航空基地へ転勤、さらに福岡に異動、そこで終戦を迎える。
任務は、気象班員を指揮し、気象観測・観測データの送受信・天気図の作成を行うこと。
目的は、攻撃予定地(海域)の視界とそこに至る航空路上の気象予測。
体験から相当時間を経て書かれた話。
だから、あとになって知ったことや調べた事実・記録・裏付けも書き込まれる。
それにより客観性は確かに増す。
が、記憶と事実・記録をゴッチャにして、話を盛りに盛っている。
何だか異様に威勢がよくドラマチック。
小説・映画・TVドラマなどの幕末物。
その物語の終わり近く、維新の志士が『日本の夜明けは近い』みたいなフレーズを言う。
だが、現実の歴史の流れの中にいる者は、絶対にそんなことを言ったりしない。
歴史を知る のちの人が書くから、『日本の夜明けは近い』みたいなことを登場人物に言わせることができるわけだ。
それと同じ。
だから、
「いよいよあと二時間ほどで、世紀の大航空戦の幕が切って落とされる」
みたいな文章が多い。
「雲底700メートルの雲は層をなし」
と細かいことが書かれている一方で、表題の『八月十五日の天気図』を作るためのデータが、
「入電する観測所が二つか三つしかない」
と、二つだったのか三つだったのかを記憶していない、なんていうのはあり得ない。
のちに知った記録の上に、著者の経験が散らされているといった内容。
著者の実体験だけを抽出したら、本書の厚みは5分の1にもならないだろう。
著者には申し訳ないが、そんな部分は流し読み。
米軍が行っていた気象観測ルーティンが興味をひく。(注)
マリアナ基地を離陸したB29が高度1万メートルを保ちつつ、北九州上空に達する間に5点、そこから仙台沖へと本州上空を直線状に抜ける間に10点、仙台沖から南下しつつ5点の気象観測を行い、その都度 暗号に組んで観測データを基地に送る。
この暗号の解読に成功した帝国は、その観測データを自軍内でも利用していたと。
そのことを米軍が知ったのは、戦後もしばらくしてからのことという。
本夕、読了。
(注)
米海軍は艦隊行動中に、'44年12月にフィリピン海で'45年6月には東シナ海で台風の進路予測を誤って強風・大波に遭遇し、800名近い人命を喪失、加えて艦船・艦載機に大被害を被っている。
それだけのせいではないだろうが、現在に至るまで北西太平洋の航空機による詳細な気象観測を継続している。
米軍の公開する台風の規模・進路予測は、気象庁発表のものより精度が高いと評価する人が多い。
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