『テキヤはどこからやってくるのか?』を読む
的屋と書く。
フーテンの寅さんの職業。
香具師(ヤシ)、ろてん商のこと。
香具師という言葉は江戸時代から有るようだが、テキヤのほうは新しい言葉らしい。
テキヤ自身は自らを、〝露店商〟と書くそう。
広辞苑には〝ろてんしょうにん〟という項目が立てられているが、表記は〝露天商人〟。
以下、本記事中ではそれらの言葉を区別せず、〝テキヤ〟で統一する。
小さな神社の小さな例祭にも縁日がたち、テキヤが商売していた。
いつごろからか、テキヤに代わって、町なかに店(たな)を構える商店・飲食店の臨時出張露店やPTAや町内会が出す模擬店が並ぶようになった。
遊価・販価が大きく下がった一方で、射幸心をあおる出品物やインチキ・マガイ・子供だまし物が並ばなくなり、結果、少しも面白くなくなった。
子供だって子供なりに、テキヤの出し物のアタリの確率はゼロ、並べられているものは子供だましなことを知っていた。
それを知ってはいても、子供は子供。
子供が子供だましに心を揺さぶられるのは当然だろう。
子供だけではない。
テキヤが仕切っていた縁日では、大人も心を揺さぶられていたのではないか・・・
こんな喫茶店で読み始め。
テキヤは血縁で受け継がれてきた業ではなく、親分子分関係で伝承されてきた業。
また、文書で残されたものは少なく、活動内容はほぼ口伝。
著者の考証は、フィールドワークでの会話から得られた情報を元に進められる。
副題は『露店商いの近現代を巡る』。
さて、〝テキヤはどこからやってくるのか〟。
それは、ごく近所からやってくる。
フーテンの寅さんのように、トランクひとつぶら下げて日本中のあちらこちらで啖呵(たんか)売りをして、その夜の酒代と宿賃を稼ぎ歩くようなテキヤは創作の世界だけの人物のようだ。
テキヤは一匹オオカミではなく組織員。
そのテキヤ組織にはテキヤ組織なりの決まり・仁義があるが、その上でちゃんと〝公のお墨付き〟を得て店を出している。
道路占有許可を警察から、飲食物提供許可を保健所から得て商売をしているわけだ。
戦後すぐはGHQに露店商同業組合を認めさせ、治安の維持さえ請け負っている。
著者は、東京墨東(隅田川中流東岸域)地区を主な縄張りとするテキヤ組織を聞き取り調査し、それを博士論文にまとめている。
その論文の一部を製本出版し、聞き取りの相手をしてくれたテキヤ本人たちにも手渡している。
が、読んではもらえなかったいう。
『テキヤはどこからやってくるのか?』は、彼らにも読んでもらおうと、読みやすく作り直したもの。
読みやすくしたとは言っても、その下敷きとなっているのは博士論文。
薄い本だが、学者精神は少しも脇に置かれることなく、硬い文章で、因果、時系列、傍証が緻密に記述され、きわめて説得性の強い内容。
テキヤは親分子分関係の組織。
扱うのは、確率ゼロ、子供だまし。
どころか、大人だましまで。
なのに、大人さえ心を揺さぶられる。
それらは、そうかっちりと説明できるほど理屈のあるものではないだろう。
納得はあっても、説得はない。
本書も、テキヤには読んでもらえないと思う(^^;
本夕、読了。
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